それら単位についてどんなことを調べるか?


 他のページでさまざまな社会学的、文化人類学的な分析の単位があることを論じました:慣習的行為(practices)、エピソード、遭遇、役割、関係、集団、組織、地域社会、社会的世界、ライフスタイルあるいは下位文化。さて、それら単位に分析の焦点をあてるとして、それらについてどんなことを調べるのでしょうか? 社会学や文化人類学の研究において調べる事柄として基本的なものとしては、ロフランドら(1996)は以下のものをあげています:

タイプ、構造、頻度、原因、過程、結果、ストラテジー(方略)

これらについてひとつひとつ考えてみましょう。

1 タイプ

 ある事柄を理解しようとしたとき、しばしば私たちは、それが何と似ているとか、何と異なっているのかを考えて、当の事柄のもつ一般的特徴を表そうとします。例えば、若い教育実習生はしばしば生徒たちと考え方のギャップが少なく、権力的な上下関係があまり目立たない交流関係をもつことがあるでしょう。こういう教師生徒の「関係」は、友人の間に見られる関係に似ているので、「友達感覚」と表現することがよくあるでしょう。これは、単位としている当の事柄をある一般的なタイプ(類型)の一例として見ようとすることです。
 シェーンフェルド(Schoenfeld, 1985, p. 41)の研究を見てみましょう。彼は、数学の問題についての大学生たちの解決行動を観察してその特徴を分析しています。学生たちは、幾何の定理や証明についての知識は十分にもっていたにも関わらず、図形の作図問題に取り組むときには、それらをほとんど活用せずに定規とコンパスであれこれと作図して見かけがもっともらしいものを見つけようとする行動を頻繁に示しました。シェーンフェルドはこれをみて、学生たちの問題解決活動という「営み」の特徴を、認識論的用語を援用して「素朴経験主義者」(naive empiricists)と表現しました。
 扱う事柄が増えてくると、一つのタイプだけではなく、複数のタイプを考えることが必要になります。すなわち、タイプ分けという「分類」をすることになります。
 分類は数学教育研究でもきわめてよくみられるものです。例えば、「意味」の単位で、数学教師の数学指導に対するとらえかた(信念体系)を考えてみましょう。現場の授業を参観したりインタビューをすると、概念的理解、数学の利用、数学外との関わりなどの点についての強調の置き方が教師によってさまざまであることに気づくでしょう。そこで例えば仮に、数学指導に関する信念を次のようにタイプ分けすることが考えられるでしょう:

ア 純粋数学志向:正確な定義や厳密な証明を理解できることが第1とするタイプ

イ 道具的志向:定理や公式はあまり理解していなくても覚えていて、(受験)問題が解けることが第1とするタイプ

ウ 応用数学志向:日常生活や科学で数学がどのように役立つかをさまざまな面白い教材を用意して強調するタイプ

 タイプ分けを考案するときには、原則として、それが分析において必要かつ十分になるように気を付けておくことが大切です。まず、同一の事柄が異なる2つのタイプに属したりしないようにタイプを特徴づけることです。2つのタイプに共通する事例が多くみられる場合は、それらのタイプは一つにまとめた方がよいかもしれません。また、考察の対象としている事柄のどの事例もいづれかのタイプに属するようにタイプ分けを作ることです。どのタイプにも入らない例外がたくさんあるときは、新たなタイプを考案する必要があるでしょう。

 タイプ分けをするときに、タイプ分けの基準となる特徴を変数として、表を作ることもあります。例えば、数学指導に関する信念の分類の際に、純粋数学と応用数学という両極の間に値をもつ変数「応用度」、および関係的理解と道具的理解という両極の間に値をもつ変数「道具度」を設定して、下記のような分類表を作ることも可能でしょう:

道具度\応用度

純粋数学

応用数学

関係的理解

 

 

道具的理解

 

 

このように変数を明確に導入することによって、観察されたさまざまなパターンを整理でき、さらに何がまだ観察されていないかをはっきりさせることができます。ただし、データとの突き合わせをあまりせずに、本で勉強した理論とか、論理的な「必然性」とか、慣習だけから変数やその「目盛り」にあたる項目を次々に導入していくのは避けましょう。というのは、そういう作り方では分類表の欄の数は多くなるけれども具体例がほとんど存在しないタイプがたくさんできてしまい、現象の理解に役立たないものになるからです。

2 構造

 タイプ分けというのは、分析しようとしている単位について全体的特徴をとらえるのが中心でしたが、構造をとらえるというときは、それ自身の内部をいくつかの部分に分解します。そして、それら部分の間を関連づけて全体像を描きます。「グループ」の単位で述べた「階層構造」などは典型的な構造です。

3 頻度

 これは、対象としている単位ないしその特徴などがどれくらい頻繁に現れるかということです。例えば、「数学離れ」という現象を分析するときに、「数学に関心がない」とか「数学を勉強するのが嫌いだ」と思っている生徒がどれくらいいるかを知ることは役立つでしょう。これを調べるには、多くの数のサンプルを調査してデータを統計処理する必要があります。ただ、これは質的研究では中心となりません。

4 原因

 自分の関心を抱いた現象について「何がこの原因なのだろう?」という問いかけは、もっとも自然なものでしょう。自然科学でも社会科学でも、因果関係の追求は重要な関心事の一つです。とりわけ,自然科学ではニュートンの法則に代表されるような因果法則を確立することは目標の一つです.

・どんな条件でこれは起こるのだろうか?
・どんな条件ならこれは起こらないのだろうか?
・これの発生を促しているのは何なのだろうか?
・どういう環境において起こりやすいのだろうか?
・何がこの違いを生み出しているのだろう?

しかしながら、実は、因果法則を確立することについては、質的研究法はあまり向いていません。心理学や教育学における実験計画法を学んだ方はご存じのことですが、因果法則を実証するには、因果法則を構成する独立変数と従属変数を測定可能なかたちで定式化し、それらを厳密に制御した実験デザインを考案して、かなりの大きさのサンプルを用いて実験を行わなければなりません。限られた事例の観察やインタビューという典型的な質的研究の進め方では、サンプルの規模、「変数」の定式化、実験デザインのいずれをとってもきわめて不満足なものになります。
 シンボリック相互作用論のところで述べましたように、質的研究では、「意味」というものが、人々の思考や行動を左右する「現実世界」を作り上げており、さらに、それは固定されたものではなく、人々の間の交流を通じて生み出され変容していくという見方を基本的な前提にしています。このように、「意味」といううつろいやすいものを媒介にして社会的・文化的現象がつくられると考えるので、本来的に質的研究では、自然科学において物体の運動や植物の成長を調べるときのような、固定したかたちをもつ原因や結果とそれらを結ぶ直線的な関係からなる機械論的な因果法則による説明は想定していません。自然界が因果法則に従っていると前提すること、および因果法則を発見することによって自然界の現象を予測したりコントロールしようという方法論は、いずれも自然科学研究上の単なる概念的枠組みにすぎません。言うまでもなくこの枠組みは自然科学の研究対象についてはきわめて有効なものですけれど、質的研究の対象としている現象についてはそうではないと考えるのです。

 質的研究において「因果関係を調べる」といったときには、ある社会的・文化的現象が人々の間のどのような意味を媒介にして生成・変容していくのか,そのメカニズムを理解することと考えてよいでしょう。より詳しく言えば、どういう意味的環境から、どういう要素が相互にどのように関与して、どのような変容をしながら、どういう社会的・文化的現象というかたち(shape)が生成されるに至るのか─Lincoln & Guba (1985)のいう相互同時的形成(mutual simultaneous shaping)─ということを調べることです。そして、それを調べるためには、当事者たちのおかれている状況、当事者たちの認識の仕方、感じ方、判断の仕方などを理解することが必要になるわけです。
 この質的研究における因果関係のとらえ方を具体的な事例で示すために、アールワンガー(Erlwanger, 1974)という数学教育研究者が行ったケーススタディの記述を紹介します。教育界において、プログラム学習という行動主義心理学にもとづいた学習方法が注目された時期がありました。アールワンガーはその当時にプログラム学習の一つであったIPIと呼ばれる個別学習プログラムを実施している学校で、6名の児童について観察とインタビューによるケーススタディを行いました。児童の一人のティナという女の子は、9才6カ月でIQ128をもち、1年生のときから算数のIPIを受けており3年生の終わりまでは優秀な進み方をし、年間約19ユニットをこなすペースでした。しかし、4年生になって突然成績が振るわなくなり、同じユニットを何度もやり直したり前のユニットに戻ったりするように教師やスタッフから指示されて、ペースは落ち込み、結局3ユニットしか進めませんでした。アールワンガーは、彼女の突然の変化の原因を分析し以下のようにまとめています:

ここまで、9才6カ月でIQ128をもち4年生[誤記:3年生]の終わりまでは優秀な進歩をみせていた女子ティナが、どうして突然、テストに落ち始めて再学習をするようになり、反抗的になっていったのかを示そうと試みた。
 The Research for Better Schools, Inc. (1971, p. 120)は、IPIの目的は、「学習を自分からすすんで求めて自分で方向づけする姿勢を伸ばし、・・・問題解決の思考過程の発達を促すこと・・・」としている。
 しかしながら、このプログラムの数学に対する行動主義的アプローチ、プログラム化された教授モード、および個別化の形式は、次のような学習環境を生み出した:(i)問題状況に先立ってスキルや概念が小ステップでティナに提示された;(ii)彼女は、学習すべき行動を穴埋め形式によって復唱(rehearse)しなければならなかった;(iii)問題の配列、解き方、作業の記録法が予め決められていたので、彼女は教示に対して受け身で従わなければならなかった。この学習環境は、量についてのティナの直観的考えが伸びること、および活用されることを抑え込んでいた。
 数に対する自分の直観的理解から、ティナは、いくのかの解き方[分配法則や交換法則などの計算法則を使った式表現を明示した解き方を指している]は「みせかけ」(set-up)であり、したがって、答えをすでに知っている自分には不必要である、と発見するに至ったと思われる。ティナは、そのような状況から、プログラムの大部分の解き方は「みせかけ」で、したがって、不必要なものであると一般化するに至ったと思われる。それゆえに彼女は、「どうしてこのやり方、普通のやり方でやっちゃいけないの」と訴えた。これらの考え、信念、見方が、ティナの数学学習の捉え方(conception)─どのように学習し何を学習するかを方向づけるものの基礎を形成した。彼女はすべてのやり方を拒否し、そのうちのいくつかを意図されたものとは異なって理解していた。そして、普通のやり方や規則の学習に集中した。
 数学学習のこの捉え方により彼女は数学を、答えを見つけるための規則のシステムとしてとらえるようになった。彼女の考える規則というのは、記号や数字の順序や配置にもとづく記号的・空間的パターンに関するものである。彼女はだんだんと自分の作り出した規則について独自の説明や正当化を展開していき、量についての自分の直観的考えを自分の答えを確かめるのに使用した。ティナは問題のいく分かについては正解を得たが、それらの答えは、大人たちの数学の捉え方[例えば、分配法則や交換法則などの計算法則を利用して計算していくこと]とは違った数学の捉え方から導き出されたものだった。
 ティナの数学および数学学習についての捉え方は次第に彼女を悲惨な事態へと導いた。彼女のその捉え方は、IPIの数学や彼女が学習で演じていた受動的役割を拒否することへ導いただけでなく、規則を学習することやそれらの規則に独自の説明を展開していくことに専念させていったのである。量についての彼女の直観的考えも、恐らくある程度まで、彼女の規則や答えなどについて洗練した説明[数学的説明]を発展させていくのを妨げたのであろう。彼女は数学で落ちこぼれ始めた。彼女の先生は、ティナの考えや見方に気づかずに、彼女の失敗の原因を誤解し[教師は、ティナが甘やかされてわがままになったこと(spoiled)が原因とみていた]、当該のユニットとその前のユニットの問題を繰り返させていった。失敗や再学習はティナにとって新たな恥ずべき経験となった。彼女はプログラム自体に反抗し、犠牲者と辱めを生み出していると彼女には思えた個別化を拒否し始めた。(Erlwanger, 1974, pp. 145-146)

 ここには、成績がよい子であったティナが、IPIプログラムの特定のユニットでのつまづきをきっかけにして、ティナのそれまでの成功の自信、IPIプログラムの教授法のパターン、教師とのコミュニケーションの問題、他の子どもたちからの遅れに対する恥の意識などのさまざまな要素が重なり合って、IPIの数学全体および数学学習に対するティナの捉え方や感情が次第に変容していき、それが同時に反抗・失敗・再学習の「悪循環」を生み出して極度のペースダウンに至る様子が述べられています。このまとめの記述には、ティナの突然の「成績不振」という現象が形成される過程に関与したと考えられるさまざまな要素が含まれていますが、関与の様子はかなり複雑であり、それらの因果関係すべてを実験的方法で確立することは現実的ではありません。アールワンガーの分析はその意味では推測にすぎません。しかし、彼のケーススタディ全体を実際に読んでみると、「ティナがわがままだったから」「教師が正しく指導しなかったから」「教師と仲がわるかったから」「プログラムの課題が悪かったから」「数学が難しかったから」というような単純なことに原因をもとめる安易な説明をことごとく退けることができる詳細な観察とインタビューがなされているのがわかります。それらのデータによって裏付けられた彼の推測は、IPIのみならずプログラム学習一般に重大な疑問を投げかけた十分に説得力があったものなのです。

5 プロセス

 社会的・文化的現象について、それがどのような過程を経て生ずるか、どのような過程を通じて変容するのかを調べることは重要です。「過程」は方向づけられた系列として表現されます。サイクル、スパイラル、系列は、過程の表現の仕方としてもっとも代表的なものです。

(1)サイクル
 サイクルは、系列を進んでいくと最初に戻ってしまうものです。学校を例にとるなら、学校の活動などは、1年を周期にしたサイクルで営まれているといえるでしょう。社会心理学で有名な、「予言の自己成就」もサイクルをなしています。例えば、「Aさんは数学ができない」という思いこみの生み出す自己成就を考えると以下のような段階がひとつ考えられるでしょう:

段階1 「Aさんは数学ができない」という思いこみ「予言」が、クラスの中に広まる。すなわち、なんらかの経緯で(例えば、誰かがデマを吹き込んだとか、教師がAさんの特異な考え方を理解できなかったとか、Aさんがコミュニケーションに問題を抱えていたとか)、教師や他の生徒たちが「Aさんは数学ができない」と思いこむ。Aさん自身も「自分は数学ができない」のではないかと思いこむようになる。

段階2 Aさんは、「自分は数学ができない」という理由で、「自分は勉強しても数学をわかりっこない」と考えて、数学をあまり勉強しなくなる。数学の問題に取り組むときも途中でなげだしてしまうようになる。教師は、「Aさんにはわからないだろう」と思い、Aさんに難しい質問をしなくなり、授業中に指名することも少なくなる。Aさんは能力度別クラスでは能力の低いクラスに固定されるかもしれない。他の生徒たちも、Aさんに数学の問題の答えを相談したりしなくなる。

段階3 Aさんは、数学を勉強しなくなり、数学のテストで低い点数をとるようになる。難しい問題にチャレンジする機会も与えられず、数学の力が伸ばされないままになる。

段階4 Aさんは、数学のテストの点数が低いのをみて、「やっぱり、自分は数学ができないんだ」と確信する。教師や他の生徒たちも、自分たちの予言の正しさを確認する(段階1に戻った)。

段階5 結果として、Aさんが数学ができないことはテスト結果で実証された事実としてクラスの中で成立する。クラスの初めの「予言」の通りの事実が成立した。

 数学的問題解決学習では、問題解決の過程を、問題状況問題の定式化計画を立てる計画を実行する解決を振り返ってみる新たな問題状況、というパターンで表現することが一般的ですが、これもサイクルでしょう。

(2)スパイラル
 これは、系列を進んでいくと最初に戻るのだけれども、ある特徴に関して出発したときより増加傾向ないし減少傾向がみられる場合です。米国の小学校では毎年同じ数学のトピックを内容のレベルを年々上げながら教えるカリキュラムが有名ですが、これは、スパイラル構造であると言われています。「原因」の節で取り上げましたアールワンガーのティナの場合は、IPIプログラムへの反抗的態度が再学習のたびにエスカレートしていったと考えれば、スパイラルであるといえるでしょう。

(3)系列
 サイクルやスパイラルのように最初に戻ることはなく、時間の推移に沿って進展していく系列は、もっともよく用いられるものでしょう。発達、適応、歴史に関するものを描くときには便利で、例えば、ピアジェの発達段階説、ファン・ヒーレの幾何学習の思考水準説などはそういう系列による表現の典型です。
 授業における教師と生徒のやりとりの典型的パターンとして有名な、教師の発問(Initiation)→生徒の回答(Reply)→教師による生徒の回答の評価(Evaluation)の3つ組系列(IRE)も系列です。Mehan (1979)は、授業内のやりとりにおけるIREのさまざまな種類を分析して、授業内でうまくやっていくための隠れたルールを描き出しています。

6 結果

 4節で述べた因果関係の「原因」の対極にあるのが結果です。焦点を当てている分析単位が他の分析単位に関わってどんなことを生み出したり、引き起こしたり、どんなことに一役を演じたかを調べます。例えば、以下のような問いを追求するわけです:

・世界観の違いがどのような営みにおいて違いをもたらすだろうか?
・こういう営みがどういう文化的意味の実現に役立っているのか?
・この役割がどういう構造の維持に役立っているのか?
・このグループの活動が地域社会になにをもたらしたか?

 教育実践研究では、新しい指導法とかカリキュラムを考案して、その実施のもたらす効果や影響を調べることが多くみられます。単に「生徒の成績がよくなった」「この試みは生徒たちに好評だった」というような結果だけではなくて、意味、営み、役割、関係等々の分析単位レベルにおいて結果を追求することが大切です。特に、実践研究では、教師やカリキュラム作成者の意図された目的が達成されたかどうかという問題ばかりに分析の目がいく傾向があります。しかし、質的研究では、教育実践が行われた社会的・文化的システムを包括的に見る姿勢が大切であり、「何が起こったのだろうか」という包括的問いを常にもち、「意図しなかった」効果、「予期しなかった」出来事、「副作用」、「副産物」など、意図された目的から離れた分析も忘れてはいけません。

7 ストラテジー(strategies, 方略)

 これは、「入門編」ステップ5Bogdan & Biklenのコード(8) ですでに触れてあります。ギアーツやシンボリック相互作用論に言及したときに、人間が「意味」に支えられて思考や行動をするという見解を説明しました。この見解には、2通りの側面があります。一つは、人間が自分たちの紡ぎだした「意味」に囚われた奴隷のような受動的側面です。もう一つは、自分の出会ったものごとに対処するなかで人間は自分たちで「意味」を作り出したり変更したりできるという能動的側面です。後者に着目したときに重要な関心となるのが、「人々はどういう状況においてどんなやり方(ストラテジー)で『意味』を創造したり変更したりするのか」という問題です。
 例えば、前述の、授業における教師と生徒のやりとりのIREパターンとして有名な、教師の発問(Initiation)→生徒の回答(Reply)→教師による生徒の回答の評価(Evaluation)について考えてみましょう。これは、長い伝統の中で作り上げられたもので、現場の教師は必ずしも意識的に利用していないかもしれません。しかし、これは、授業に導入するトピックをコントロールしたり、「正解」を決める権限を教師に固定しておくのに大変都合よくできています。しかも、生徒の回答の枠があるので、生徒の参加も部分的に促しており、「一方通行」の授業ではない形式をしています。教師は、IREパターンの利用をストラテジーとして巧みに駆使することによって、生徒の参加を促しながらも自分の計画通りの展開の授業を演出することが可能になるのです。もちろん、生徒の方が教師の「計画」を変更させたりご破算にするストラテジーを駆使することがあります。例えば、教師に指名されないのに勝手に回答を言ったり、教師の評価に反論したり、教師に質問したりするやり方です。生徒がこのようなストラテジーを駆使してくると、今度は教師は、計画通りに引き戻したり、権限を維持するための別のストラテジーをくり出してくるかも知れません。このように見てくると、授業があたかも教師と生徒の主導権争いの場に思えてくるかもしれません。「荒れている学級」にしかないとみられる主導権争いが普通の学級にも潜在的にあることを理解しておくことは大切なことでしょう。


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