ステップ4 主研究を開始し、観察ノートをつける


  予備研究の結果を検討して、主研究を計画し、データの収集活動を行います。データ収集活動の場は、フィールドと呼ばれます。フィールドワークでは、フィールドにおいて、研究対象となる当事者たちの構成している世界を理解しようとします。それを捉えるためのデータとして、当事者たちのおかれている状況や脈絡の描写、当事者の発話の記録、当事者たち行為の描写が重要になってきます。研究者は、これらを、文書の形で記録して分析に利用します。
 フィールドに関わって研究者によって作成された文書を、ここではフィールドノーツ(fieldnotes)と呼びます。ステップ1の研究日誌もフィールドノーツの一種です。研究日誌に加えて、フィールドでデータ収集をする際には、観察したことをすばやくメモできるような小さめのノート(フィールドメモ)を用意し携行するのがよいでしょう。フィールドを離れた後に、そのフィールドメモをもとにして、観察記録を作成します。ここでは、観察記録をつけておくノートを、便宜上、観察ノートと呼ぶことにします。フィールド内で詳細なメモがとれる場合は、フィールドメモを観察ノートとしてよいでしょう。また、研究日誌と観察ノートを、一つのノートにまとめたり、すべてをパソコンのファイルで作成しても構いません。

観察ノートの内容

1 事実レベルと解釈・意見レベルを区別して記述する

 観察記録を書く際には、自分の推測部分が少ない事実レベルの記述と自分の推測がかなり入った解釈・意見のレベルの記述を区別しながら記録することが基本となります。したがって、観察ノートに書く内容は大きく分けて、2種類あります:一つは、データおよびその周辺の記述、もう一つは、データ分析に関する考察です。
 例えば、中学校の数学の授業で図形の証明問題に取り組んでいる場面を考えてみましょう。問題は、「AB=AC」という関係を証明する形のものだったとしましょう。生徒の鈴木君が、証明の途中に「AB=AC・・・(3)」と書いていたとしましょう。この様子の記録の仕方として、例えば、以下の2通りを比べてみましょう:

(a)「鈴木は、証明の途中に『AB=AC』を書いていた。」
(b)
「鈴木は、証明で結論を使っても構わないと思っているようだ。」

(a)は鈴木君のノートを見ればすぐわかる次元のもので、観察者の見間違いや記憶違いがなければ、たいていの人が同意できる記述であると思われるものなので、「事実」のレベルの記述とみなすことができます。しかし、(b)は、鈴木君のノートを見ただけでは判断できない内容が多く、この記述に反対する人も十分多いと思われます。例えば、証明を書いているときに「AB=AC」が「結論」であることに鈴木君は気づいていたでしょうか。単に「AB=AC」が書いてあったというだけで「気づいていた」と判断してよいでしょうか。この判断には、観察者の推測がかなり入り込んでいるため、観察者の「解釈」、「考え」、「意見」のレベルの記述であるといえます。これは、観察の初心者によくみられる「印象」記述です。
 事実レベルの記述と解釈・意見レベルの記述を区別して書くことには理由があります。見間違い、記憶違いによる誤りはどんな熟練した観察者にでも起こりますが、ある程度時間をかけて観察をしたりするうちにかなり訂正されるものです。したがって、見間違い、記憶違い等による誤りを含んでいる部分のデータが研究成果の主要な根拠に使われることはあまりないでしょう。事実レベルの誤りは、研究が進むにつれて淘汰されやすいものなのです(研究があまりなされていない領域などでは淘汰されるまでにかなりの時間がかかることは勿論ありますが)。ところが、観察者の推論がデータにかなり強く入り込んでいる場合、そのデータをチェックするのことは、見間違い、記憶違いほど単純ではありません。上の例で「鈴木は、証明で結論を使っても構わないと思っているようだ。」をチェックしようとするなら、そのとき鈴木君がノートにどう書いていたのか、鈴木君が何か発言をしていたのか、鈴木君は他の問題で証明をどう書いていたのか等々の証拠を調べる必要があるでしょう。しかし、記録に残っているのが「鈴木は、証明で結論を使っても構わないと思っているようだ。」という記述だけだったなら、チェックのしようがありません。その記述が誤っていても訂正されることないままに終わる危険性が高くなります。後で見直して別の解釈の可能性を検討したり、どのような解釈するのが妥当かを他の研究者と議論したりするときに、判断の手がかりがなくなってしまうのです。研究というものは、「事実」レベルのデータを公に示し研究者同士でそれを共有しあい、それをもとにして、お互いに解釈や考え、意見を戦わす営みです。それゆえ、「事実」レベルにあたる部分がどこか、観察者の推測のレベルの部分がどこかを常にはっきりさせておくことが、本質的に大切になってくるのです。これは、裁判所の法廷において検察側と弁護側が争う際に、「証拠」と「意見」を峻別しているのと同じです。
 フィールドノーツには、事実レベルの記述部分と解釈・意見レベルの記述部分をはっきり分けて書き込むようにしてください。(事実レベルかどうか判断がつかないときは、解釈・意見とします。)例えば、解釈や考え、意見を書くときには、段落を改め、段落全体を1字分下げて、段落の最初に「OC(observers comments)という記号をつけたりするのも一案です:

11:441144分) 2年B
HW[宿題]チェック[教科書]p. 70
11:45
 (ア)、(イ)、(ウ)の場合の図を描く。
11:47
 T(教師),(ウ)を自分のやり方で説明
[黒板](ウ)y=4(1-x)X 1/2
        ・・・
       y=-2x + 20 (7x10)

OC 最後のxの変域についてTがSs(複数の生徒たち)にきくと、Ssが一斉に反応する。

11:53 T、グラフの引き方をア、イ、ウに従って説明していく。

OC ここはほとんど一方的な説明になる。HWではこうなるのか?

11:57 T,新しい内容「4 不等式」に入る。
T,「不」の意味を話し「等式ではない式。イコールのない式」と説明。

OC 2年A組とは違う導入

T,記号を書く。「<、>、≦、≧」
T,Ssに「A<B」の読み方を聞く。
T,「A大なりB」と読むのはやめ、「AはBより小さい」とする。
[黒板]A < B  数量と大小関係

 手書きの観察ノートの場合は、私がよく利用する仕方は、解釈、考え、意見を書いている段落を2、3字分下げて、その左に縦の線を1, 2本引いてマークするだけのものです。ある教師の作った観察ノートを例にあげます:

T:「では、パソコンの授業でできなかた縦棒はどんな式になるのか、予想してみよう」
山田:「x=数になるとおもう」
y = hについての説明)
T:「x =△でよいかどうか、y = ○の場合から類推してみよう」
周りで話し合い。
鈴木:「 y = ○の場合と同じように考えると、それ[ x = 3のグラフ]はx = 3だけど、yは何でもいいのだからx = 3と表せるので、山田君の予想は正しいと思う。」

  IIパソコンの授業からy=h, x = kのグラフの学習をしたが、今までのax + by = cで、
  II a = 0
の場合、b = 0の場合という導き方よりわかりやすいのではないだろうか。

 オーディオ記録やビデオテープ記録がある場合は、それを文書化することがあります。文書化されたものをトランスクリプトといいます。オーディオ記録やビデオテープ記録で必要なところを、機器で再生して見つけたりするのを何度も繰り返すのは、かなり時間がかかるものです。トランスクリプトが作られていると、データの検索や分析がしやすくきわめて便利であり、観察ノートや研究日誌をつけるのに役立ちます。ところが、本格的なトランスクリプトは、発話のコトバを省略・編集なしで忠実に文字化・記号化し、動作の一つ一つまで記述するもので、時間的・労力的に大変です。どれだけ詳細な文書化が必要かは、研究の目的によります。研究上重要と判断した箇所だけに限って(空いている時間、夜や早朝、週末などを利用して)トランスクリプトを作り、それを取り込んで観察ノートを作成する方法もあります。

10:131013分) T:「じゃあ、時間がないから空けておいて、次の勉強に行きます。終わんない人はうちでしっかりやってきなさい。で、次。」
T、黒板を消す。
T:「消すぞ。もう試験前だからどんどん行くぞ。」

OC 作図に手間取りがち。
・「空けといて」の指示に見られるように、ノートに順番よく学習内容を記録させる意図が見られる。
・「試験前」に内容をカバーすることが、先生と生徒の両方にプレッシャーになっている。2年を受け持っているもう一人の先生と歩調を合わせるということもプレッシャーになっていると考えられる。これを生徒に伝えることにより、生徒に授業により集中させHWもするよう促していると考えられる。

10:14 T、黒板に(教科書)p. 121「特別な二等辺三角形について考えよう」と書き、読む。
10:15
 T:「二等辺三角形というのは、2つの辺の長さが等しい三角形を二等辺三角形と言うんですが、ね。それ以外には何の条件もないよね。とにかく、三角形で、そのうちの2つの辺が長さが等しければ、もう二等辺三角形なわけです。それになんか一つ、もう一カ所特別な条件を与えると、どういう三角形になるだろう。」
10:16
 T,黒板に二等辺三角形をいくつか書き始める。
T:「これ全部二等辺三角形だな。」
[黒板の図]
T:「何かないですか。何かないですか。これ、角度は何でもいいんですよね。ここの角度は何でもいいんですね。あ、これとこれは同じ角度になるですよね、二等辺三角形の2つの底角は等しいという性質がありますから。」

OC こういうとき、長さを一定に保ったまま自由に変形できる教具とかソフトがあると効果的だと思うのだが。

T:「この長さも何でもいいわけでね、10センチでも5センチでも、何でもいい、70センチでも何でもいいです。何でもいいんですが、その中で一つ条件を与えるとしたら、どんなことが考えられますか。特別な条件を与えるとしたら、どんなことが考えられますか。」

OC 「特別な」という意味が生徒には分からないと思う。角度を30度とか長さを70センチとかの条件では「特別」にならないのかどうか。特殊−一般の関係から見れば、勿論、それらも「特別な」条件である。

10:18 T,山田に聞く。
T:「2つの辺が等しいだけじゃなくて、それに何かもう一つつけ加える、特別な要素をつけ加えて、つけ加えるとしたら、どんなことが考えられる?」
山田、首をかしげる。

 観察ノートを含め、フィールドノーツを作成する作業はかなりのものです。繰り返し使う表現は自分なりの簡略な記号を使うとよいでしょう。例えば、私は以下のような記号をフィールドノーツに使います:
T  教師
S  生徒(特に、氏名がわからないときや、氏名を記す必要がないとき使う)
Ss
  複数の生徒
I
   研究者である私(investigatorないし interviewerの意)
BB
  板書の記述(手書きのフィールドノーツに使う)
HW  宿題
VTR
  ビデオに映っているということを特に示す記号
[ ]  複数の人が同時に発話しているときに、挿入するのに使う記号
//  同一人の発話の途中で間が空いたことを示す記号

2 他の研究者にリアリティを伝える記述をする

 フィールドにおいて膨大な観察内容があります。それらのどういう部分を、どういう順序で、どれくらい具体的に記述するかは、観察者につねに突きつけられる問題です。まず、観察ノートにあるデータは、研究論文の中に後々引用されるものであり、観察者のみならず他の研究者もその一部は読むものです。もちろん、個人情報保護のため、論文にするときは、固有名詞は伏せますが、データは基本的に同じ研究領域の研究者たちの共有財産となるべきものです。他の研究者がデータとして読むことを念頭におくものであると考えると、観察者以外に誰も理解できないような記述をするわけにはいきません。実際に読むかどうかは別として、他の研究者が読んでも十分に理解できるような記述をしなければなりません。自然科学の実験研究の場合でも、実験の手順や結果を研究ノートに他の研究者が理解できるように記録しておき、他の研究者が論文の記述をチェックしたり再現実験をしたりできるようにしています。質的研究者にとって、観察ノートはそれと同様に、他の研究者によるチェックに利用できるものでなくてはなりません。

 同時に,質的研究では,フィールドにいる当事者の営みを理解することが基本になりますので,他の研究者が論文に書かれている描写を読んで,フィールドとそこで生きる当事者をある程度疑似体験できることが重要です。描写を読んだだけで,フィールドの様子や状況が目に浮かび,当事者の目から見えるものがイメージできることが理想です。すぐれた小説やノンフィクションにはそういう描写が多くありますので,描き方の参考にするとよいでしょう。

 他の人々に理解しやすく,かつリアリティを伝える観察ノートを記述するに、いくつかの基本的な原則があります。言語技術研究者の三森ゆりか氏の5つの基本原則にしたがって論じます(三森、「外国語を身につけるための日本語レッスン」(白水社), 2003, p. 164

(1)全体から部分へ

どんな物事もそれがどのような脈絡や状況におかれているかによって、その捉え方が変わります。たとえば、同じ教師でも、職場にいると前提して記述した場合と自宅にいると前提して記述した場合では、全く異なった意味を生み出します。

T: あ、やったね、すごい!(目を大きく見開いて、驚きとうれしそうな表情)。

というようなデータ記述を考えてみましょう。自宅のテレビでスポーツ観戦している状況であれば、スポーツ好きの教師の単なる感情の発露でしょう。しかし、これが授業中に誰か生徒が問題を解いたのを見ての発言であったなら、驚きの感情表現だけではなく、その生徒の解答を褒めて教師の評価をその生徒に伝えたり、解答の仕方が非常に優れていることを他の生徒に知らせたりする意味をもってくる。

 それゆえに、何かを記述しようとしたときに、いきなりこまごまとしたデータを記述し始めるのでなく、それらを位置づけるより一般的な事柄や背景を明確にしておくことが大切です。その上で、だんだんと細部へと移っていく方が、理解を促進するでしょう。それは同時に、読者に、全体的な見通しを最初に与えるものでもあり、読みやすくなります。この原則にしたがうと、おおよそ、以下のような順序で書き進めればよいでしょう。

(i) データ収集する日時と場所
 観察フィールドとなる場所や建物、机や椅子の配置等についての様子を記録します。
(ii)
研究対象とする人々
 研究対象とする人々の年齢、性別、職業、服装、態度等の情報を記録します。
(iii)
観察者の行動
 フィールドで観察者がどういう格好で、どこにおり、どういう役割を演じていたかを記録します。観察者が研究対象とする人々と会話したなら、観察者の発したコトバも記録します。
(iv)
活動や出来事
 フィールドで行われている活動や出来事を記録します。単に活動や出来事のうちの目立つ側面だけでなく、活動や出来事をそれらが起こる脈絡やとりまく周囲の状況を含めて包括的に記述するようにします。
(v)
会話
 研究対象とする人々の間に交わされる会話をコトバ通り記録します。

ただし、これらの項目を常に書かなければならないというわけではありません。例えば、データ収集場所、対象とする人々、観察の仕方がいつも同じなら、(i)(ii)(iii)については一度研究の開始時に書いたなら、その後は、特に変更になった部分だけ記録すれば十分でしょう。

 そして、それぞれの項目(i)-(v)の記述においても、「全体から部分へ」の原則を適用して、全体的、概略的な事柄から始めて細部へ記述を進めていきます。

(2)空間的順序

物事を描写するとき、空間的に秩序ある順序で理解することを期待します。たとえば、デパートの売り場を説明するときに、普通は下の階から上の階へと「下から上へ」という流れで説明されることを期待するでしょう。もし、3階の売り場、1階の売り場、5階の売り場というような下に行ったり上に行ったりするような流れで説明されると、聞き手の期待とずれて、混乱してわかりにくくなります。また、スーパーの売り場を説明するとしたら、普通は手前の入り口付近の売り場から始めて奥の売り場へと、すなわち「手前から奥へ」の流れで説明していくこと期待するでしょう。こういう期待は、文化的に形作られたものであり、決して固定されているわけではありませんが、こういう期待に合うような秩序で説明すると理解されやすいでしょう

(3)時間的順序

空間的秩序と同様に、時間的に秩序ある仕方で説明することも重要である。たとえば、カレーライスのレシピを記述するとしたら、カレーライスをつくる時間的順序で説明するのが最も自然でしょう。

 

1 厚手の鍋にサラダ油を薄く引き、サラダ油が熱くなったら、適当な大きさに切った肉、野菜を入れてよく炒めます。

2 水を加え、沸騰したらアクを取り、材料がやわらかくなるまで弱火か中火で煮込みます。(約○分間)

3 いったん火を止めてルウを割り入れ、充分に溶かし再び弱火で煮込みます。

続き番号を打ってもよいし、または、「まず」「次に」「最後に」というような前置きを付けて文章で述べたりするでしょう。教育現象の場合では、事象が起こった時間的な順序で記述するのが基本になるでしょう。上述の授業記録のように、時刻や時間を段落先頭に表示しておくと、順序だけでなく、持続時間や間隔を理解するのに役立ちます。

(4)情報の整理

フィールドでメモをとっているときは、走り書きのためなかなかうまく整理できませんが、観察ノートを作成するときは、上記(1)-(3)の原則にしたがって整理して記述すると見やすいでしょう。

(5)客観的な記述

事実レベルの記述については、他の人が理解可能な客観的な表現で書くことは当然ですが、解釈や意見についても、客観的な記述を心がけることが大切です。というのは、解釈や意見はデータ分析の手がかりとして活用していくものなので、自分にしか理解できないもののままで安住するわけにはいかないからです。たとえば、「近くのショッピングセンターにある某ラーメン屋のラーメンはおいしい」、という記述は、解釈・意見レベルです。この中の「おいしい」という部分はかなり主観的な表現です。このままでは、他の人に、そのラーメン屋のラーメンの特徴はほとんどつたわらないでしょう。人によって、ラーメンの好みは違うし、おいしさの基準は違って当然だからです。あなたの好みをよく知っている友人の間でしか、「おいしい」だけでどういう特徴があるかを理解されないでしょう。さらに、このままで記述を終りにしておくと、時間がたつと、自分自身でさえ、「なんでおいしいと感じたんだっけ?」と理解できなくなってしまいます。

 それゆえ、解釈や意見についても、単に事実と区別するだけではなく、他の人でもわかるような、より「客観的」な表現をするように心がけることが大切です。主観的な感覚でも、描写する対象を分析していくことによって他の人にもより正確に伝わるようになります。ラーメンでいえば、まずスープの種類、すなわち、しょうゆ、とんこつ、味噌等のどれがベースになっているかです。次に、麺の特徴です。細い麺か、太い麺か、麺のコシが強いかどうか、などです。さらに、具になにか特別な工夫があるか。たとえば、チャーシューのやわらかさ、ネギの量と、ゆで卵のゆで具合や味。これらを分析して、「あそこは、とんこつスープで、細い麺で、麺にスープがからみやすく、しかもコシがあった。チャーシューがやわらかくて食べやすかった。半熟の味卵も味がよくしみていてスープと馴染んでいた。」というように表現すれば、聞いた人はかなり具体的にそのラーメンをイメージできるでしょう。

(6)情報の受け手の設定

情報の受け手としての読み手がどういう予備知識をもっているかに応じて記述の仕方は変える必要が出てきます。数学教育研究の観察ノートを読む可能性があるのは、ほとんど数学教育研究者ですが、その中でもさまざまな専門領域の研究者がおります。どういう予備知識を前提にして記述するかを考えておく必要があります。

 データ分析に関する考察
 これは、観察者の解釈、考え、意見の部分に書く項目です。
(1)
データ分析のためヒント
 データの中に繰り返し現れるパタン(recurring patterns)をメモする。フィールドにおける人々の行動、交流の仕方、会話の話題などに、何度も現れてくるパタンあるいはタイプに気がついたら、単なる思いつきでもいいですから、メモします。また、それらのパタンがフィールドの人々にどういう意味をもたらしているか、他のパタンとどう関連しているのか、等々について、感じたこと考えたことをメモします。これらのメモが、データ分析をまとめるときに役立ちます。データ分析については後述します。
(2)
研究の進め方についての考察
 これは、研究日誌と共通するものです。フィールドでは、フィールドの人々とどう接したらよいか、どこに観察の焦点を絞るか、誰に面接を求めるか、面接の質問をどうするか、データ収集をいつ打ち切るか等々について、その場の状況に応じて臨機応変に意思決定しなければならないことが普通です。これらの意思決定の経緯について記録し、決定の妥当性について後で検討することが大切です。
(3)
個人的経験とその考察
 これも、研究日誌と共通するものです。フィールドでは、自分と考え方や価値観が異なる人々に間近で接することになります。授業の観察をしているときに、教師の教え方に不満を感じたり、批判的な気分になることがあるかもしれません。あるいは、生徒の発言に感動したりするかもしれません。こういうとき、それらの経験を書き留めて、自分自身がそのように感じるのはどうしてなのか考えて見て下さい。自分の支持している教育理論、過去の教育経験、個人的好み、その日の気分などがそういう個人的感情を起こさせる背景にあるでしょう。これら自分の感じ方の背景にあるものを冷静に自覚するようにします。
 そして、改めて、当事者である教師や生徒たち自身はどう感じているのかを考えてみてください。彼らは観察者とは違う感じ方をしていると常に想定してください。彼らには物事がどう見えているか、それらがどういう意味をもっているのか、観察者の考え方や価値観とどういう違いがあるのかを考えます。これもデータ分析において役立つヒントを与えてくれます。
 特に,フィールドに入った初期の経験は貴重です.まだフィールドの人々のやり方,考え方,価値観等に自分自身が「慣れて」しまわない時期であり,感覚が研ぎ澄まされているからです.フィールドに入った初期は,不慣れなことが多くて忙しいかも知れませんが,同時に,「慣れて」しまった後では得られない「黄金の瞬間」でもあると考えて,気づいたこと感じたこと,できるだけ詳細に記録しておくようにしてください.

観察ノートを書く際の注意

 観察ノートは、前述の研究日誌の形式にならって書きます。特に注意する点をいくつかあげます:

1. 観察記録は、観察の後できるだけ早く書き留めてください。
 時間がたてばたつほど記憶は薄れてきて正確さを失います。また、新鮮な印象がなくなると、記録する意欲も弱まります。十分な分析もしないうちに「今日は大したデータでもなかったから」と口実をもうけて記録作業を避けていると、重要なデータを見逃しかねません。研究期間中は、観察ノート用のノートとペンを常に携帯し、すばやくメモを書き付ける習慣を身につけて下さい。できれば、観察した直後に、要点だけをすばやくメモしておきましょう。そして、仕事や雑用が終わった後に、書き留めておいた要点をもとにして、その日のうちかまたは次の日の仕事前までに、より詳しい観察記録をつけるのです。
 さらに、前回の記録をつけないままでいると、次回の観察に悪影響を及ぼします。前回の観察の記録をつけるうちに、次回の観察の方針も決まっていき、研究の焦点が絞れてくるものです。しかし、記録をつけるのを怠って次回の観察に臨んでは、それがありません。その上、観察記録つける作業が滞って蓄積してしまうと、だんだんと仕事が膨れ上がり、研究が苦行になってしまいます。

2. オーディオ記録やビデオ記録があっても、観察記録はつけて下さい。
 オーディオ機器やビデオ機器による記録はときどき操作ミスや故障のために失敗することがよくあります。機器を使った場合には、まず、記録が思った通りにとれているかどうかをすぐチェックしてください。うまくとれていなかった場合には、直ちに、記憶を頼りに詳細な観察記録をつけてください。うまくとれていた場合には、それらを機器で再生しながら、観察記録を書いてください。

3. 要約しないで記録する(Bogdan & Biklen, 1992, p. 119参照)
 職場で会議の議事録をつけたりするときは、長い意見のやりとりがあってもそれらは要約して書き、最後の決議事項だけ正確につけると思います。これは、個人的な意見の詳細よりも、全体での決議事項の方が職場の運営において重要と会議参加者にみなされているからです。質的研究で観察記録をつける場合では、フィールドで起こっていることが最も重要ですので、その記述では「要約」しないようにすることが大切です。例えば、教師の教授行動に焦点をあてるような研究をするときに、「教師は、教科書を使って例題3の解き方を教えた」というような記述するのは避けるべきでしょう。「教科書を使って」というのは、具体的にどういうことだったのでしょう?教科書の何ページのどこの部分を指しているのでしょうか?教師が教科書の文章をそのまま読み上げたのでしょうか?生徒を指名して読ませたのでしょうか?それとも、教科書の図や表だけを説明のときに利用しただけなのでしょうか?あるいは、教科書にある記述に触れながらも、黒板で改めて図解しながら教師が説明していたのでしょうか。「教科書を使って」と記述したのでは、このような教授行動の分析にとって大切な情報がほとんど記録されないことになります
 「教えた」という表現も同様です。長く教鞭をとった経験がある人は、「教える」というコトバ使いに慣れてしまっているために、それが複雑でさまざまな種類がある行為をひとからげに要約した表現であることをときに忘れがちです。例えば、教師は、いきなり解答を書き始めたのでしょうか?生徒に解き方について何も質問しなかったのでしょうか?生徒たちと話し合いながら進めたのでしょうか?問題を解くためのアイデアとかアプローチの仕方には触れたのでしょうか?触れたとしたら解答の前、途中、最後いずれにでしょうか?生徒はどういう風に聞いていたのでしょうか?生徒はノートをとるのに忙しくてあまり聞いていなかったということはないでしょうか?質問した生徒はいたのでしょうか? 解答の前に生徒のノートをみてまわっていたなら、それは解答のときに生かされていたのでしょうか?生かされていたとするなら具体的にどの発言にそれが示されているのでしょうか?
 授業記録をつけるときには、教育実践の既成の言葉遣いにとらわれる必要はありません。例えば、日本の教育の伝統では、「導入-展開-まとめ」というパターンで記述したりするのをご存じと思います。また、生徒たちの机の周りを歩いているときは、「机間巡視」や「机間指導」と記載するとか、「教える」ことを最近は「支援」と言い換えるとかのしきたりがあります。これらの既成の言葉遣いは、実際に起こっているさまざまな内実を覆い隠す要約になってしまいます。例えば、「机間指導をした」といったときに、教師は生徒たちが遊ばないように監視に行っただけなのか、単にノートを見て回っただけなのか、生徒たちの作業の手伝いに行っただけなのか、生徒に何か指示を出しに行ったのか、生徒と話し合っていたというならば、どの時点でどの生徒とどのようなことを話し合っていたのか、等々。こういうさまざまな場合がすべて「机間指導をした」の一言でくくられてしまうのです。
 教授行動の分析に決定的なデータが「要約」ではほとんど失われてしまうのです。

4. 書き留める前に、人に内容を話さない(Bogdan & Biklen, 1992, p. 127; Smith & Geoffrey, 1968, pp. 12-13参照)
 元旦に「今日から毎日日記をつけよう」と計をたてて、往々にして三日坊主で終わるのはよく知られています。同様に、観察記録を書くことに心理的ストレスを感じることは普通です。経験を文章化する作業は、忍耐を必要とします。
 また、データの解釈に関してよいアイデアや仮説を思いついたとき、気分が高揚することがあります。目から鱗が落ちるような経験をしたり、自分自身の創造性に自信を感じたり、研究成果があがっているという感触が得られたとき、誰しも感情的に高ぶるものです。
 こういうとき、観察内容や自分のアイデアを書き留める作業を放り出して、すぐにでも同僚や知人に話したくなる場合があります。これは、観察記録を書く作業を先延ばしにするだけです。また、ストレスを会話で発散すると、書くための緊張感がなくなる危険性があります。それだけでなく,会話のときに観察内容に他者からコメント受けて別の強調や印象が付け加えられたりして,データが歪められる危険性が高くなります:

もうひとつ重要な点は,ノートに記録する前にエピソードについて話してしまう誘惑である.自分の妻や同僚に話すことは,出来事をノートに記録するのを鈍らせるように思えた.実際,会話した人たちの反応や解釈が観察の総括を記録するときに混じり込んでくるように思う.どれくらいの影響があるかは確かではないが,印象の想起に関する研究で指摘されている平均化,先鋭化,歪曲の現象や,風説の伝達過程における変容の研究が関わってくる部分であると思う.彼[観察者]はフィールドノーツに確実に記録するか,テープに総括を口述するまでは話さないように心がけた.(Smith & Geoffrey, 1968, pp. 12-13)

5. 観察の進んだ時間の流れに沿って記述する。
 ほとんどの人にとって観察の時間進行に沿って書くのが最も自然であり、観察したことを思い出しやすいものです。観察のときのメモを頼りに、どう展開していったかを思い浮かべると、観察したことが次々と芋づる式に引き出されてくると思います。それを出てくるがままに書き留めていくとスムーズに書けます。
 一旦ある程度書いたところで、何か書き忘れたことを思い出すかもしれません。そのときは、順序をあまり気にせずに書き留めていきます。データを整理しなおすことは、後でも出来ます。データを記述して残すことを第一としてください。


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