ステップ2 研究手続きを検討する


 質的研究では、教育現象を構成している当事者たちの世界の理解を最も重要視します。そのために、その教育現象の現場に行き、当事者たちの行為や会話、彼らをとりまく周囲の状況や文化をについてのデータを収集します。これは、文化人類学の用語でいうところのフィールドワークに相当します。
 フィールドワークに用いられる手法にはいくつかの種類があります。質的研究に利用される主なものを下にあげます。複数の方法を併用して、さまざまな角度から研究を進めることが望ましいです。

観察

 フィールドワークの最も基本的な手続きです。当事者たちが通常の活動の場でおこなっていることを直接に観察してデータを得るものです。教育研究の場合、例えば、教室の後ろで参観し、通常の授業の中で生徒や教師が話したり作業したりしているときに見たり聞いたりしたことを記録して、生徒の実態を捉えようとするのは、観察による典型的な研究です。質的研究の場合、当事者たちの通常の活動の場での観察が重要になり、そこからかけ離れた特別の実験室などに当事者を連れてきて観察することはあまりしません。というのは、そういう特別な場所にきてしまうと、状況が大きく変わるため当事者たちは通常とは異なる行動をとる可能性が高くなり、彼らの通常の行動を捉えることが難しいと考えられるからです。同様の理由で、当事者たちの通常の活動の場に特別な手を加えることもあまりしません(後述の「実験」の場合は別です)。
 観察の利用には、文化人類学で長い伝統があります。1910年代に文化人類学者マリノフスキーがトロブリアンド諸島の文化を調査するために実際に現地人に混じって長期間生活して現地の社会生活を直接に観察するという方法をとったことがその重要な契機であるといわれています。マリノフスキーのように調査対象である現地の人々の日常の社会的活動に観察者が参加しておこなう観察は、特に「参与観察」(participant observation)と呼ばれています。教育研究の場合、例えば、学校現場に行き、そこの教師の一人、補助員、あるいは「生徒」などの役割を演じて学校内の活動に関わりながら、学校内で日常的に起こっていることを観察することは、参与観察にあたるでしょう。また、数学教育研究者のミルロイ(Millroy, 1992)は、大工職人の行う数学的活動を調べるために、南アフリカの町工場で大工職人と一緒に働きながら観察をするという典型的な参与観察行っています。当事者の日常の活動への参加の度合いが低い観察は、「非参与観察」(nonparticipant observation)と呼ばれることがあります。教室の後ろの方に拠点をおいて授業を参観し、通常の授業の中で生徒や教師がどういうことを話したり作業したりしているのかを記録しているような場合は、非参与観察といってよいでしょう。
 参与観察は、当事者たちの活動に深く関わるため、それについてかなり詳細で正確な情報が得られる利点があります。しかし、反面、得られる情報の範囲や質が限定されてしまう問題点もあります。例えば、学校内で教師としての役割をもつ場合には、教師としての仕事に忙殺されて肝心の観察やその記録に集中できなくなる危険性があります。授業観察も自分の受け持つ授業においてだけに限定されるでしょう。また、教師として学校内で振る舞う場合、生徒たちは観察者に対して「先生に見られているとき」の行動や会話しかみせない可能性があります。「先生が見ていないとき」の生徒たちの様子は観察が難しくなるでしょう。
 他方、非参与観察の場合は、参与観察ほど当事者と密着した情報は得られないかもしれないけれども、より多くの機会と広い範囲で情報収集が可能になり、全体像をとらえやすくなる利点があります。また、当事者たちについてのより詳細な情報は次項の面接法などの方法と組み合わせることで補うことができます。いづれにしろ、それぞれの利点や限界を踏まえて、観察方法を計画することが大切です。
 当事者たちの活動に関わると自然と、当事者たちと会話を交わしたりすることになるでしょう。その場合は、面接法の手法を利用して、生徒に質問したりすることもあります。これについては、次項で論じます。
 昔の文化人類学の研究では、観察の記録は、観察者がノートに書き留めるだけのものでしたが、今日では、オーディオ・レコーダやビデオカメラ・レコーダなどの機器を利用することができます。

面接(インタビュー)

 当事者たちに直接会って話しを聞く方法です。会話という誰もが日常的に行っている営みを、当事者たちの世界に関する情報を得る手段として活用するのです。教師や生徒たちに個別にあるいは数人同時に会い、彼らの考え方や意見を調べるというような面接を中心にした研究は多くあります。生徒数人を呼んで数学の問題に取り組ませてみて、その解き方、数学についての見方、授業の理解について話しを聞く場合などはそうでしょう。また、授業の研究などでは、上述の観察と組み合わせて実施し、授業観察とともに授業に参加した教師や生徒たちと面接したりします。
 当事者たちの世界に関する情報を得るために、臨機応変に会話の機会を活用することが肝心です。それゆえ、質的研究における面接の形式はさまざまです。面接でよく知られている形式は、面接者が質問項目を全て予め準備して面接対象者と別室で会い、準備したとおりに質問をしていくものです。この方法は、後述の質問紙調査に近いものです。これは当事者の回答を効率的に収集する方法として、面接によるアンケート調査として利用されています。しかし、質問項目を予め決めてしまっているため、当事者たちの回答を面接者の枠組みに無理にあてはめてしまい、当事者たち独自の見方や感じ方の枠組みが見えなくなる危険性もあります。
 それゆえ、質的研究では、質問する事柄についておおざっぱな計画は立てて面接に臨むけれども、相手の話しの流れに応じてかなり質問の項目、順序、形式を柔軟に変えて面接を進めるのが一般的です。面接の最中に、研究に関わる重要な話題が相手から出てきたら、面接者は当然、そのことについてより詳しい情報を得ようとして、その話題をめぐる会話をさらに促すようにするでしょう。その結果、予定していた質問項目を次回の面接にまわしたりするでしょう。また、研究に役立たない話が続くときは、さりげなく別の話題に移るようにするでしょう。
 面接のための特別な場所やまとまった時間がいつも確保できるわけではありません。そういうとき、授業中の机間指導のときの短い会話、廊下での立ち話、昼食を一緒に食べながらの会話、あるいは電話での会話のような形式張らない機会も面接として利用できます。むしろそういう機会を利用した方が、当事者たちのいつもの考え方や感じ方が現れやすい場合もあるものです。
 相手の話しを刺激するようなものを用意して面接中に利用する場合もよくあります。心理学のロールシャッハテストや自由連想テストのように結果の解釈に専門的訓練を必要とする道具は数学教育の研究では使うことはあまりありません。数学教育の研究の場合は、面接中に、何らかの作業(例えば、数学の問題に取り組ませたり、いろいろな図形を分類させたり)などをしてもらいながら話を聞く場合がよくあります。また、相手のあるいは誰か他の人の答案を示してそれについて考えを述べてもらったり、授業を撮したビデオを見ながら授業の時に考えていたことを話してもらったりすることがあります。回答の仕方も、コトバで表現するばかりでなく、絵や図に表現してもらう場合もあります(例えば、 McLeod , Craviotto, & Ortega (1990)は、問題解決過程における感情の起伏をグラフに比喩的に表現させています)。これらは、抽象的な質問の内容をより具体性をもたせて明確に伝えたり、相手の話を焦点化したり具体化したり、記憶が定かでないことを思い出させたり、相手に内省を促したりするのに役立つことがあります。
 記録の方法については、会話が中心となりますので、ノートの他にオーディオ・レコーダを利用することが多いです。面接中の活動、表情や仕草も重要なデータになるため、ビデオカメラ・レコーダを利用する場合もあります。

質問紙

 ある事柄についての理解、感じ方、意見の様子を、大人数について同一の形式で調べたいときに役立ちます。質問紙を配布して個別に回答してもらうのが一般的です。質問を口頭で説明する必要がある場合や回答がコトバでうまく表現しにくいような質問の場合は、面接をしながら質問紙に応えてもらう場合もあります。
 質問の形式については、面接の場合と同様な配慮が必要です。よく見られるアンケート調査のように、複数の選択肢の中から選ばせるような回答形式をもつ多肢選択型の質問形式は、回答の集計や分析がかなり効率的にできる利点があります。しかし、他方、調査者があらかじめ回答の仕方を準備しているために、回答者の考えがその調査者の枠組みに無理矢理にあてはめられたり、調査者が関心を持つ特定の方向に回答者が誘導されたりする危険性があります。当事者たちの世界についてかなりの理解をした上で、当事者たちの枠組みを十分に反映したかたちで選択肢を考案することが重要になります。
 もう一つの形式は、自由回答型で、「・・・についてどう思いますか、あなたの考えを聞かせてください」というような、オープンエンドな質問形式をもつもので、回答の形式がかなり自由なものです。これは、回答者自身の考えをより忠実に表現しやすいこと、回答の理由や背景についての情報が得やすいなどの利点があります。もちろん、分析は多肢選択型ほど単純ではありませんし、回答者に考えたり記述したりする負担がかかるので、回答者が積極的でないと内容のある回答が出てこなかったりします。

資料の収集

 これは必ずしも研究の中心的方法になることは少ないのですが、当事者たちが生み出した資料や彼らに関する資料を収集することは、質的研究では大切になります。例えば、学校の授業に関する研究でいえば、使われている教科書やワークブック、教師の作ったプリント、教師の指導案、生徒のノートやテストの答案、生徒の成績、教室や廊下にある掲示物や展示物、設備、学校要覧などは、間接的ではあるけれど、授業について理解するための貴重な情報源になります。

実験

 通常のとは異なるある特別な学習法、指導法、教材、カリキュラムなどを考案したときは、それらをどこかのクラスや学校で実施してみて、その効果を調べたりします。これは、広い意味で「実験」にあたるでしょう。ここでいう実験は、量的アプローチで触れた「実験」とは計画、実施、評価の性格が異なります。まず、実験群と対照群との両方を必ずしも用意する必要はなく、「実験群」だけを詳細に調べるケーススタディが質的研究では許されます。質的研究では、教育現象を構成している様々な要素や側面を包括的に理解するアプローチをとり、さまざまな機会をとらえてさまざまな経験や対象に対して比較考察を遂行します。比較を少数の「変数」のみをコントロールした「対照群」と間に限定したりはしません。
 実験の実施においては、実施の過程において起こったことについて詳細な観察が行われます。そして、実験の効果の評価では、観察記録に加えて、実験に参加した当事者との面接や質問紙調査、実験で生み出された資料の収集などを多角的に利用して判断するのが普通です。


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