入 門 編:はじめに

質的研究法とはどういうアプローチか


 入門編では、研究経験があまりない方を対象に、教育現象の質的側面の研究の進め方の概略を述べます。より専門的なこと(理論、テクニック、文献等)は、各論で論じたいと思います。

 端的にいって、研究というものは、さまざまな現象(自然科学的、社会科学的、数学的現象等々)の世界についての私たちの理解を深める活動といえましょう。本ガイドで扱う現象は、数学教育に関わるものです。数学教育は他の教育研究と同じく、カリキュラム論、指導法、学習過程、教材論、教育史、テクノロジー等々と様々な領域にわたっており、研究を進める者は、どこかに研究の焦点を絞らなければなりません。通常、研究の焦点は、「研究課題」(research question)という問題の形で表現されます。そして、関連する研究文献を調べたり、関連する研究をしている人たちと情報交換したりして、自分の追究したい問題をさらに、限られた期間と得られる支援の範囲で研究可能な形へと絞り込んでいきます。

仮説検証型とプロセス探求型の問い

 教育研究にはいろいろなタイプのものがあります。これまで非常によく見られたものに、例えば、以下のようなタイプの研究があります:

(a)アンケート調査

 例:中学生の数学に対する態度を調べるために、ある地区の中学生全員に質問紙調査を実施した。「数学は大嫌い」ないし「数学はどちらかというとあまり好きではない」と答える生徒が何パーセントいるかがわかった。

 例:ある地域の中学校の中学生全員に生活習慣と成績について質問紙調査を実施した。朝食を食べる生徒と数学の成績との間に正の相関関係がみとめられた。
(b)
実験的方法

 例:数学のある内容についての新しい指導法を考案し、その効果を調べることを計画した。そこで、新しい指導法が従来の指導法より効果があるという仮説を検証する実験を実施した。ある学校の生徒全員に事前テストを行い、2つのクラスA, Bがほぼ同等の学力をもつことを確認した。クラスAは実験群とし、新しい指導法で数学を1ヶ月指導した。クラスBは対照群とし、同じ期間を従来の指導法で数学を指導した。1ヶ月後、学習内容について事後テストをすべてのクラスで実施した。実験群と対照群との間で事後テストの点数を分散分析法(あるいは共分散分析法)を用いて検定した。有意水準5%で両群の間の点数に有意差が認められることを見いだし、新しい指導法が従来のものより高い教授効果をもつと結論した。

 これらはいずれも、教育現象のある側面を「変数」としてとらえて数量化し、統計的分析をすることによって当該の教育現象を理解しようとするアプローチをとっています。このアプローチは、数量化に特徴があり「量的」アプローチと呼ばれています。これは、研究手続きに高い客観性を得ることができることや統計的手法によって一般性が根拠づけられることなどの利点があるといわれています。そして,量的アプローチにおける研究課題では,「仮説検証型」の問いを立てます。

1. 現実場面への活用問題を扱った数学学習は,生徒が数学の有用性を理解するのを促進するか?
2.
『図に表してみる』方略の指導をすることは,問題解決を促進するか?
3. GeoGebra
を使った図形指導は,生徒の図形理解を促進するか?
4.
ジグソー学習を導入した数学学習は,従来の数学学習より効果的か?
5.
反転授業と通常の一斉授業では、どちらが効果的か?
6.
少人数指導は、習熟度別とそうでないのとどちらが効果的か?
7.
朝食を食べるどうかは,数学の成績に関係あるか?

これらの問いを追究しようとすると,「現実場面への活用問題を扱った数学学習は,生徒が数学の有用性を理解するのを促進する」「『図に表してみる』方略の指導をすることは,問題解決を促進する」「GeoGebraを使った図形指導は,生徒の図形理解を促進する」「ジグソー学習を導入した数学学習は,従来の数学学習より効果的である」「反転授業は一斉授業より効果的である」「習熟度別少人数授業は,習熟度別でない少人数指導より効果的である」「朝食を食べると数学の成績が向上する」という仮説を立てて,それが正しいかどうか検証することを目的とする研究を行います.一般的に,「あることが正しいかどうか」「どちらがどうだ」「どちらがどれだけか」という形式の問いを立てると,仮説検証型になり,統計的に有意な「差」や「相関」があるかどうか,を調べることになります.

しかしながら、量的アプローチによる研究では、当の教育現象を生み出しているメカニズムやプロセスについては、組織だったデータ収集や分析がなされずに論文の最後の「考察」あたりで、調査のときに少し見聞きしたことや常識的な判断から憶測を述べる程度にとどまることが多いのです。したがって、たとえば,「現実場面への活用問題を扱った数学学習」が,どのように数学の有用性を生徒が理解するのを促進するのか(全くもたらさないかもしれない)」「『図に表してみる』方略の指導をすることが,問題解決をどのように促進するのか(全くもたらさないかもしれない)」というような問いに対しては、まともに証拠づけられた説明がなされないのです。後者のような問いは,教育現象を生成・維持・変容させているプロセスの中身を探究するものなので,「プロセス探究型」と呼ぶことができるでしょう.質的研究は,プロセス探究型の問いをたてて,それを研究していきます.

 このガイドでは、教育現象を生成・維持・変容させているプロセスの中身、「質」、を組織的に探究する研究法を論じます。これは、文化人類学、社会心理学、臨床心理学等の研究の伝統の中から生み出されたアプローチで、「質的」研究法と一般に呼ばれています。このアプローチは、特に、教育現象の当事者たちが作り上げている世界の理解を基本としています。教室の出来事に関わる現象でいえば、教師や児童・生徒たちが教室の中で実際にどのような行為をしているのか、ある行為がどのような意味づけをされたり、どのような働きを生み出しているのか、そして全体としてどのような日常がそこに創出されているのか、などが現象理解の基本になるのです。

 ただし,質的アプローチは,量的アプローチを否定するのではなく,量的アプローチを補完する役割をもっている,あるいは,逆に量的アプローチは質的アプローチを補完する役割をもっている,と考えてください.量的アプローチは多くのサンプルを一度に扱うことができますが,他方,質的アプローチでは,比較的少ないサンプルしか一度に扱えません.その代わり,量的アプローチでは,現象理解は表面的なレベルにとどまり,他方,質的アプローチでは,現象への深い理解が可能になります.

 

 

 

 

 

 


 教育現象の質的側面を捉える研究は、「教育現象の当事者たちが作り上げている世界」というやや漠然としていて捉えにくい側面を扱い、また、記述の仕方も量的アプローチの研究とはかなり異なります。それゆえに、特有の工夫や訓練が必要になります。この入門編は、そのための基本を体得する過程を段階的に紹介します。

練習問題

上記「仮説検証型」の問い3〜7をプロセス探究型に直してください.


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