「なんとなく、クリスタル」という小説が話題になった。現代女子学生の生活ぶりを、きらめく商品文化を背景に描き出しているが、愉快なのは文中に出てくる商品名や地名などに、注釈をつけて、うん蓄を傾けていることである。小説なのか、商品カタログなのか、観光案内なのかわからないほどである。
男から声をかけられたヒロインは、その男の話し方が「おじんくさい」と文句を言うくだりがある。そして「おじん」についての巻末の注釈をみると「年寄りっぽい雰囲気の若者を指します」とある。ここでは、年寄りはマイナスのイメージでとらえられている。
特異な文体と、描かれている女子大生の調子のいい生活ぶりは、読み手に共感を呼び起こすより、むしろ異和感をもたせるようである。「なんだ?これは!」の連続であるが、この本の終わりのページには、これまた唐突にも、人口問題審議会「出生力動向に関する特別委員会報告」や「五十四年度厚生行政年次報告書(五十五年版厚生白書)の抜粋記事が転載してある。その記事は、日本が高齢化社会に向かっていることを示している。
現代の若者の「なんとなく、くらしている」生き方の提示と、高齢化社会の予告の提示は、ひとつの謎かけである。
高齢化社会は、全人口に対する老年人口の比率が高い社会のことを言う。生まれる子供の数が少なくなり、皆が長生きすれば、当然高齢化社会になる。それは壮年層に大きな扶養負担を強いる社会である。
クリスタル族は、日本の高齢化社会のピーク時を支えなければならない将来の壮年層である。彼女がもし子供を生めば、子供の扶養負担もかかってくる。子供を生まなければ、ますます高齢化が進行し、自らの老後が一層不安になる。そこで彼女はマイナス・イメージの社会から目をそらして「シャネルのスーツが似合う雰囲気をもった女性になりたい」という希望を持つほかない。
いまや高齢化問題が、単に高齢者のみならず、若者の現在の生き方にも影ををおとしている。
「もうそろそろのお年ごろですね」とか「いい年をして、まだそんなことをする」といった具合いに、人々はとかく年のことを話題にする。人はそれぞれの年齢にふさわしいふるまいをするように期待し、期待されている。その相互期待は年齢規範という行動の目安を生み出している。その規範に合わないふるまいをした者は、オマセといわれ、カマトトといわれ、オジンクサイといわれる。
規範といっても、「して欲しい、欲しくない」とか「した方がよい、しない方が」よいという緩やかなものから、「しなければならない、してはならない」とか、「するべき、すべきでない」という厳しいものまで、いろいろあるが、年齢規範はどちらかというと緩やかな方である。けれども、年齢規範は一定の方向へ行動を誘導するものである限りは、これに異和感を持つ人間を生み出す。
青年たちは、まわりの人々から、さまざまな期待をかけられる。「まだ一人前ではないんだから」とか「もう子供じゃないんだから」とお互いに矛盾するような期待にさらされて、とまどいが生じる。では一体「僕ってだあれ?」といことになる。
同じように老年にさしかかった人々も、周囲からの期待の変化にとまどい始める。自分では、これまでの自分と全く違ってはいないのに、周囲の人の見る目が違ってくる。あるいは、自分はかなり無理がきかない体になってきたと思うのに、だれもそれは気づかってはくれない。そんな時、「私は一体何なのか」という疑念がよぎる。
声高に高齢化社会のショックが叫ばれ、これからの高齢者は、かくあるべきだという希望が、陰に陽に語られる。その希望は現実の前では、そらぞらしい響きしか持たない。なぜならば、子供達と違って、高齢者の生活は、長い年月を経て形成されたそれぞれの独自のかけがえのない活動を蓄積しており、高齢者として一言のもとに片付けてしまうことのできない個別性と多様性を持っているからである。
年齢にこだわらずに生きていけるような社会こそが高齢者にとっては救いである。年齢規範は緩やかな方がよいのである。
「老いてはますます壮なるべし」「亀の甲より年の功」「六十の手習い」などといった諺は、老年も中年と同じような生活を続けることができると見込んでいる。最近流行の「熟年」ということばも考え方としては、高齢者がこれまでと変わらない活動的な生活をするというイメージを含んでいる。定年延長論や、高齢者事業団制度の試みも、高齢者の変わらぬ活動性を念頭に置かなければ出てこない発想である。
だが他方に、「余生をおくる」「悠々自適の隠居生活」といったことばもある。高齢期はいずれ経済力を失い、健康を失い、配偶者や知人を失わざるをえないのだから、早く引退を勧め、社会的に「功なり名を遂げた人」として敬意を払おうという考えに根ざしている。この考えは、老人はこれまD通りの活動ができないというイメージを含んでいる。とかく敬老ということばには、このような感じがつきまとう。シルバーシートも同じような発想に立っているといえる。
社会老年学では、このような老年をめぐる発想の違いを、活動理論と離脱理論と名づけて対照させている。これは生き方のモデルでもある。
人生を彫塑と類比させてみると、いずれも素材を整えていく過程といえる。粘土像や乾漆像は、素材を「かさねる」ことによって、美しい形を整えようとし、木彫像や大理石像は、素材を「けずる」ことで形を整えようとする。これと似て、人生の整え方も、「かさねる」やり方と、「けずる」やり方がある。
高齢者の活動理論は、「かさねる」生き方をモデルにしており、ヘミングウェイの「老人と海」に出てくる主人公のように、たくましく活動しつづけて老年を生きることが幸せであるとする。
離脱理論の方は、「けずる」生き方をモデルにしており、いわゆる「枯れる」ことで、賢者としての光彩を放つことが至福であると考える。
日本の伝統的な老人観は、どちらかといえば、この離脱モデルに近かったといえるが、最近の論議は、ますます活動モデルの方に比重がかけられている。
八百比丘尼伝説を知る人もいるだろう。人魚の肉を食べてしまったために、死ぬことができなくなった尼の話である。死なぬなら結構だと想われるかもしれないが、確実に老化するので、この尼は不幸である。不死は不老と一対になってはじめて幸福をもたらすが、無限の老化を伴った不死は、地獄の責め苦だと八百比丘尼は訴える。
浦島太郎の話といえば、知っている人はもっと多いだろう。龍宮城で乙姫様と楽しい月日を過ごした浦島太郎が、故郷に帰って、禁断の玉手箱を開けたとたんに白髪の老人になる。それは恍惚の老化を表している。
この緩慢な老化と急激な老化は、死のイメージとも絡んで、人びとに多くのことを問いかけてくる。青年たちのほとんどが、浦島太郎型の生き方を望んでいるのだろう。それがクリスタル族のような風俗を生み出す精神的母体である。
だが、高齢化社会が人々に暗示している問題は、限りなく八百比丘尼型に近い。弱っても死ねない時に、人びとはどうしたらよいのかという不安が次第に広がりつつある。そして今、この不安はポックリ信仰として静かなブームを呼んでいる。
「ポックリ」という言葉の持つ響きは、きわめて明るく乾いており、瞬間的である。それは突然襲ってきて、有無を言わさず何かを持ち去っていく感じを表した擬態語である。もろくも折れるさま、急に死ぬさまを示すのにこの言葉は使われる。そして、大和の吉田寺や備中の嫁いらず観音などといった古寺が、ポックリ往生したいという人たちの願かけの対象になっている。全国津々浦々からの参詣者はひきもきらずにやってくる。
老化して、家人に世話をかけながら生きていくのはつらい。かといって、自ら命を断つようなことはしたくない。自分たちの手に負えなくなりそうな人生を考えると、何か超越的なものの慈悲にすがりついて、せめて生きている間は、龍宮城の浦島太郎のように生き、死ぬ時は瞬時のうちに、自分でも気づかないように生命を奪ってもらいたいという民衆のせつない願いが、ポックリ信仰ブームを支えている。
老人のポックリ信仰と若者のクリスタル族とは同床異夢である。
推理小説は必ずといってよいほど、ある人間の死をもって始まる。つまり死によって謎が現れるのである。
本当はその死者が生きていた時にも、その謎は存在していたはずなのだが、その死によってはじめて謎が謎として明らかになる。死者は黙して語らない。謎を解こうとする人は、いろいろと細かな部分から疑問を立てて、解答を試みる。
人々の日常生活は本来謎だらけである。それに気づかないでいるだけである。突然の死は、残された多くの人に、声のない問いかけをする。一体、あなた方の日常生活にとって、死んだ私はどういう人間であったのか。
人々は、今は亡き人と自分との間にあったさまざまな心のやりとりを思うにつけ、自分の心に大きく穴があいたと感じる。その穴を生めるため、人びとは同じ思いをしている人とともに慰めあう。だが、こうした空白感は、どれだけ心に残るよしなし事を思いかえしてみたところで満たされはしない。
どのような死であれ、死者にとって、それは思い悩むことがらではない。生きている者だけが、死を思い悩み、死によって明らかになった謎に悩まされる。ことに若死、難死、憤死などは、生き残っている者を苦しめる。死者は生き残った者にひどい仕打ちをしている。だからこそ、生き残った者は、情念の世界の中で、その死者を浮かばれぬ魂として罰する。生き残った者が思い悩まなくなってはじめて、死者は浮かばれる。さまざまな鎮魂の儀礼が、生者のためにこそ催される。
自然死や大往生は、生き残った周囲の人に、あまり不条理な問いかけをしない死である。だからこそ、人は自然死を望み、大往生を願う。だが、このような死は、生きながら死に近い状態に置かれていたことを暗示する。いわば老醜をさらしていたと考えられる。
老醜をさらすことで、周囲の人間からやっかいがられ、ついにはすべての人を疲れさせ、そして死を迎えた人は、既に生前から死を期待され、死自体を罰として受けることになる。まして「やっかいかけたな」という言葉ひとつで、生者は鎮魂の必要もなくなる。謎ときははじめから断念されるのである。
インドでは、人生を四つの時期に分けるという。第一は、学生期で修行に励む時期である。第二は家住期で職業と家庭をもって社会生活を営む。第三は、林住期で仕事と家庭を捨てて森に住む。第四は、遊行期で森を出て、天下を周遊し、人の道を伝え、生涯の結実を世に残す。この遊行期の人は、聖者として尊敬される。聖者は杖と鉢と水がめだけを持ち行乞をしてまわる。
日本でも、隠居して四国遍路に旅立つといった例がみられるが、これも一種の遊行聖者であった。本来、行乞という行為は、人々の徳性に訴えかけ、自覚させるための手段であったにもかかわらず、いつしかそれ自体を目的とする人々も生み出す。近代国家はそれをきらって、遊行そのもの、あるいは行乞を目的とする人びとを規制する政策をうち出す。たしかに社会福祉政策としては一歩進んだといえるが、見方によっては、遊行者が持っていた聖性、批判精神をも同時に衰弱させてしまったともいえよう。
近代国家は、高齢者のような社会的弱者が必然的に生み出されるものとし、これを国民全体の相互扶助によって救済しようという精神の実現化を目指す。しかしその制度が整備されるにしたがって、たとえば施設さえつくればよい、福祉専門家にまかせたらよいという考え方も広がっていく。そしてタテマエとしての福祉道徳が叫ばれる。
第一線で働いている福祉の専門家たちは、世の中の道徳を代行する人として、さまざまな事例に取り組む。その人たちはタテマエを忠実に実行しようとするが、そのタテマエは、いつも事実自体によってその妥当性を問われる。一般的なタテマエを論じ、その実行は専門家に委ねてしまえば、道徳性を問われるのは、その一部の専門家に限られてしまう。
こうしてみると、高福祉国家というのは、もしかすると、一人一人の道徳性をあまり問わない仕組みをもっているのかもしれない。
けれども本来の福祉を考えようとすれば、もう一度、社会的弱者の現行道徳に対する批判者としての役割を復権させる必要がある。高齢者の生きがい対策というのは、その聖性を菜発見し、それを発揮するために妥当な方法を考えることにある。
むらの老人は、いまだ現役である。そして昭和五十五年度農業白書によれば、日本の専業農家のうちの三分の一が六十五歳以上の高齢者によって支えられている。特に中国地方は、その比率が高く、六十%に達せんとしている。
昔、老農という言葉には、経験豊かな指導力のある農民という意味が含まれていた。しかし、現代の老農は、単に年老いた農民という意味しか持たないのではないか。後継者を得られずに、経営を交替しようにもできず、細々と農業にしがみついているというイメージしかない。
農業者年金制度や農家高齢者創作活動施設設置事業などといった老農をめぐるいくつかの施策が行われているが、これからの農業を考えてみると、今の農業高齢化は、単に老人福祉対策としてだけでなく、農業観自体の再検討をせまっている。
ロシアの共有地入会が、農民のライフサイクルに即した小農経営の拡大と縮小に有効に働いていたとみる人がいる。日本でも戦前の小作地の機能は、農家のライフサイクルに伴う経営拡大と縮小の際の借入地や貸付地であり、これによって経営の世代交替が円滑に行われたとみる人がいる。
そして高度経済成長の時代には、共有地や小作地に見合うものとして、兼業機会がクローズ・アップされた。中国地方の農民は兼業機会に恵まれ、そして脱農していく人も増えていった。農業だけで生活する人は、ごく一部の人と老人に限られるようになった。
戦後農地改革の苦い経験から、今でも土地を貸そうとする人は少ない。そのために専業農家が経営拡大をするといっても、農地は流動化しない。だが「自作地+兼業機会」として兼業農家に恵みをもたらしたのと同じように、「自作地+借地ないし共有地」としての専業農家にも道が開かれなくてはならない。
ライフサイクルに即した経営の拡大と縮小が円滑に行われ、若い農民の希望と年老いた農民の安心が同時に実現される可能性が出てくれば、農業は他の職業とともに、選択の自由に委ねられるだろう。そして選択の自由という限りは、親が農民でない子の就業の道も開く必要がある。
欧米の旅行を終えて帰ってきた人たちのスナップ写真を見せてもらうと、公園のベンチに憩う老人たちの姿がよく写っている。街は老人たちに占拠されているのではないかという錯覚に陥るほどである。
日本でも、通勤時をはずした時間帯にバスに乗ったりして、老人たちの姿がやけに多く感じたりする。
都市公園も交通機関も、まるでふるいにかけたように均質的な人々を集合させる。タイミングのずれた人は、そこで場違いな感じにとらわれる。人はその年齢にふさわしい場所をタイミングよく見つけ出さなければならない。
住宅の中にあっても、老人にふさわしい場所は、一階の離れや縁側であり、庭である。世間相場では、二階の高窓に影を映すのは若い人に決まっている。また街にあっても、ディスコは老人になじまないが、病院の待合室は老人にぴったりの社交場である。
地域社会としては、むらの方が都市よりも、老人に合っているとみられている。過疎の村では、既に高齢化社会を先取りしているが、そうした村の中で、高齢者たちはまだまだ主人公である。したがって、通常いわれているような形の老人問題は生じない。むしろ深刻なのは都市の老人問題である。
都市は本来、老人むきの地域社会ではないと考えられている。野心満々の若者たちにこそふさわしい地域社会である。だが都市には多くの老人がいる。場違いな思いをするから家にひきこもっているだけである。
しかし、ちかごろ老人は家にいても場違いになっている。テレビに子守をさせるというが、同じように老人のためにテレビがあてがわれ、他の家の中への関心を持たないように目を奪っている。
社会の側は、各種の施設を設け、老人にふさわしい設備と待遇をもって、そんな家に幽閉された老人を待ち受けようとする。しかし老人自身はこの施設に対しても場違いな感じを持っている。
もう一度、老人にふさわしい地域社会の再編成を、都市でも農村でもやらなければならない時期にきている。老人たちに、孫のいる情景、草木虫魚のある情景、祈りのある情景を演出する必要がある。
今、女性の間では夫婦と違う「最も親しい他人同士」的関係が模索されており、愛の対象を見失った人たちの間ではペットがブームになっている。高齢化社会は、思いがけないところで、いろいろな現象を生み出しているものだと思う。
孝という字は、老を子が担うという形を表しているが、高齢化社会は老人に比べて、担い手の数が減る社会である。結婚したがらない人、結婚しても子供はいらないという人、子供を一人ないし二人しかつくらない人の増加で、いずれ「次の代の子供を産み育てることをしないで、自分たちの楽ばかり求めて老いたる者を、なぜ私が養わなければならないのか」と不満を持つ若い人がでてくる。
孝の倫理を単に血縁の者の間のこととして考えると。このような反発が大きくなる。だから、血縁的な孝を越えた老若の愛について模索しなければならない。だが、老後について考え始めた女性は、一足飛びに「最も親しい他人同士」的関係を、夫婦以外に求めはじめている。「老後は女の園をつくって協同生活しよう」などという。同質的な存在だけの結合は、世代間ギャップが大きくなりすぎた時代における生活防衛なのかもしれない。
他方では、愛の対象をペットに求める人たちも増えている。子供を産まないでペットを子供がわりにしたり、子育てが終わったさみしさからペットに愛をそそぐ人たち。こうして、産まれる子供の数が減るのを補うようにしてペットの数が増えていく。しかし、ペットは人口再生産には役立たない。ペットへの愛の姿はどことなくナルシス的である。高齢化社会の望ましい秩序を構想しようとするとき、このような偏りを正して、異質なるものとの共生を志向する必要があるだろう。
(これらは中国新聞の緑地帯という囲み記事で1982年に連載されたものである。)
私は、アメリカが若い国であるとばかり思い込んでいた。そのイメージは、戦後、アメリカから紹介された映画やTV番組によって作られたものかもしれない。しかし、実際にアメリカを見聞してみると、高齢化している社会であることに驚いてしまう。統計的にみても、日本の1988年における老齢人口割合が11.2%であるのに対して、アメリカは1987年で既に12.3%になっているのである。
日本社会の高齢化(人口構成の少産少死化)は、個人の高齢化(長寿化)として認識されていることが多く、高齢化社会の問題は、現在の高齢者の問題であると考える人が、相変わらず多い。しかし、高齢化社会の問題は現在話題の税金、外国人労働力導入、生涯学習と大学経営難、リゾートにまで広く関係しているのである。私はアメリカで、高齢化が日本で考えている以上に日常的なことだと強く実感した。
例えば、サンフランシスコといえば、美しい町並みと最近評判のピア39などのショッピング・モールなど、観光地として有名な町である。しかし、私の目にとまったのは、まずケーブルカーの料金や映画館の入場券や、その他もろもろの料金に、シニア・シチズン(先輩市民。高齢者のことをアメリカではこう呼ぶことが多い)用の割引が設定されていることであった。62歳以上としてあるところが多かった。レストランにはいっても、シニア・シチズン用の献立があって、割安で、量も少な目である。日本では、お子様ランチはあっても、高齢者向け献立を容易しているところは、寡聞にして知らない。教会にでかけようとするシニア・シチズンのためには、専用のバスが仕立てられている。航空会社もJRのフルムーンどころではない大型割引料金を設定している。アメリカの若者は、このような高齢者優遇策をみてどう思うのだろうかと、こちらが心配になる程である。
サンフランシスコのフィシャーマンズ・ワーフに行ってみると、潜水艦が停泊していて、一般公開しており、中国人の老水兵が、さかんに呼び込みをしている。話を聞いてみると、この潜水艦はまだ十分に動くが、コストがかかるので、動かさないで、博物館として利用することになったという。老水兵は、この潜水艦で働いて退役した人であった。このように、老朽化したものを高齢者と結びつけて、博物館に利用するという発想は、アメリカ社会ではきわめて普通のことのようである。各地に博物館やオールド・タウンといわれる歴史的建造物の保存地区があって、そこでは高齢者たちが観光客にいろいろと昔とった杵づかを見せている光景がよくみられる。ピア39は不用になった波止場をショッピング・モールに再生させたものであるし、モントレーの水族館にしても、もとの水産加工場を利用したものである。今のアメリカには、時代を乗り越えてきたものは、人であれ、建物であれ、これを観光に再生利用しようという考え方があるのではないだろうか。
他方、サンフランシスコの市当局は、若い人口が郊外の他の町に流出し、高齢者やホモや黒人、新しい中国人しか住まなくなっていることを憂えている。日本でも都心部のいわゆるインナー・シティ問題は、高齢者の住居問題であるという認識が出てきてはいるが、アメリカではかなり深刻である。アメリカの都心の高齢者は単身者で、安い料金で古いホテルに長期滞在するという生活をする人が多い。ホテルの経営者は業をにやして、大手のホテルに身売りをしてしまう。古いホテルを壊して建てかえるので、住人は追い出される。かれらは反対運動をするが、結局はホームレスとして街路にあふれてしまう。
ロサンゼルスでは、こうした問題を解決するために、キリスト教会や市当局の支援を受けながら、民間団体の手で、アンジェラス・プラザという1500人収容のシニア・シチズン用の高層アパートビルを都心に建てている。そこは、こぎれいなキッチン付き個室があって、年収が12,000ドル以下で62歳以上の人を対象にして、年収の25%を家賃として受け取って貸しているのである。このようなビルが都心に建てられているということに驚きを禁じ得ない。日本では地価の問題があって、こうした高齢者アパートを都心に建てることは容易でない。この施設の中では、いろいろな活動プログラムがあり、老いたコーリアンの婦人が日本語で昔の唱歌を唄っていたり、高齢者ボランティアが図書館で本の整理をしたり、屋上の菜園で、野菜を作ったりしている。南カリフォルニア大学からは、医療保健チームがやってきて診療をしている。住人はいろいろな民族の出身者がいるので、バイリンガルのボランティア活動も行われている。
こうしてみると、アメリカ社会の高齢化は、着実に文化や制度全体の組替えを進めているようである。翻って、日本の現状を見ると、高齢化のかけ声はあっても、それへの取り組みはまだ小手先の対応でしかない。「もう若くはない」ことを嘆かないですむ文化と制度づくりこそ、重要な高齢化対策なのである。
人口の高齢化には、高齢者の数の増大よりも、それを支える若い人口の減少の方が大きく影響する。若い人口の減少は、出生児数の減少と、地域からの若者人口の流出によっておこる。
今、アメリカでは、人工中絶問題がかまびすしい論議を起こしているが、これも高齢化社会におけるひとつの動きとしてみると、単にイデオロギーではない意味が読み取れる。日本でも、結婚年齢が高くなったり、単身生活を指向する人が増えたり、結婚しても、子供を生まなかったり、生んでも少なかったりすることが、普通になっている。しかし、これが社会の高齢化を引き起こしていると感じている人は少ない。
高齢化に歯止めをかけるために、人工中絶をやめさせて、子供をつくろうではないかというアメリカの運動は、それに反対する女性解放運動との間で、今後もいろいろな葛藤を演じるだろう。似たような問題が、日本では結婚難問題として展開している。山形県の山村でフィリッピンからの花嫁を迎えたということが、ジャーナリズムでは主として女性解放運動の視点から取材され、論じられているが、人口再生産という文脈で考えると、また違った意味が含まれているように思う。アメリカでは人種間の結婚は普通のことであるから、フィリッピンから花嫁が来ても、それ自体が問題になることはない。しかし、出生率の人種差は問題になっている。メキシコ系やアジア系や黒人系のアメリカ人の出生率は白人よりも高く、特に都市においては、白人以外の子供の誕生が目だっている。
ロサンゼルスの町を歩く人やレストランに集まる人をみると、白人たちは、ほとんどが同年輩の夫婦、恋人、友人といった小さなグループでいることが多い。白人が子供をつれてレストランにいるという姿は、日曜日の郊外レストラン以外では、あまり見かけなかった。それに比べると、メキシコ人や中国人たちは、いつでも親子の家族づれで行動する人が多い。メキシコ料理店や中華レストランでも、親子の家族づれはよく見かける。どうも、これは白人の夫婦関係を親子関係よりも重視する考え方のなせる光景かと思ってしまう。出生児数が少なくなるのは、いろいろな理由で「子どもを生めない」のではなく、「生まない」という意志が働いているのかもしれないと思うのである。
このように、次の世代がアメリカでなかなか生まれにくい時代になれば、どのようにして、だれが社会的必要労働を支えるのかという問題が出て来る。アメリカの経済的発展を支えるためには、生産性の高いハイテクなどの産業において、働く人材が重要になる。それと同時にアメリカ社会の底辺をささえる非採算分野のいわゆるダーティ・ワークだとか、パーリアといわれる仕事を支える労働力が必要になってくる。ところが、最先端部門では、人材が不足し、ダーティー・ワークにおいても、人手不足が深刻化してくる。そこで、その解決策としては、日本でも論議の的になっている外国人労働力の導入ということになる。
アメリカは「移民の国」といわれてきた。そして、その伝統は今でも保持されているが、決してそれが容易でないことは、人種差別問題をみても明らかである。移民が次々に入って来れば、絶えず新しい差別問題を生み出す可能性が高い。それを回避したり、補償したりする運動と政策が、必要不可欠になってくる。
戦前、日本人移民がアメリカにわたって、砂糖黍畑労働、鉄道敷設工事、近郊野菜園芸、都市的雑業などに従事して、経済的成功を得てきた歴史がある。アメリカの白人ではできない(あるいはしたくない)重労働や不快・苦痛な労働の分野を支えたからである。しかし、その日本人移民とその子ども達は、第2次世界大戦中生活の拠点を強制的に内陸部に移転させられたのである。その戦時における人種差別政策に対する批判が、最近10年、日系アメリカ人の間でまき起こった。そして、昨年の夏に、アメリカ議会は、この政策を時の政府の過ちであったと正式に認め、収容者に謝罪と1人2万ドルの補償金を出すことを決めた。しかし、多くの日本人移民は既に死亡しているし、高齢化している。そして、政府は財源難を理由にまだ補償金を支払えないでいる。
日本で労働力人口が少なくなるから、外国人労働力を導入しようというのは、あまりにも、短絡的であるが、生産拠点を海外に移す力がなく、また国内で労働力を集めることができない企業にしてみれば、外国人労働力にすがって経営したいところだろう。だが、構造的な若年人口減少の時代に、安易に外国人労働力を導入すれば、これからの日本の歴史に大きな宿題を課すことになる。アメリカが移民を入れ続けながらも、高齢化した人口構造のなかで、いろいろな社会保障に苦労している姿を見ると、日本の外国人労働力受け入れは、なかなか容易でないと痛感させられる。
アメリカに進出した企業は、社会的なボランティア活動に対する寄付を申し込まれて閉口するという。儲けが出ていないから、儲けるようになるまで待ってくれという断わり文句は通用しない。現にそこに企業があるということは、法人市民として、ボランティア活動をする義務があると説教されるだけである。日本では、民間企業による市場経済と政府による公共経済以外の経済活動は、まるでない方がいいといった感じの論議が展開されている。政治献金の異常さがますますこの論議を偏ったものにしてしまったといえる。だが、高齢化社会を考える時に、もうひとつの経済として、この寄付や贈与の動きを無視することはできない。アメリカは強い市場経済と弱い公共経済だけで成り立っている社会ではない。そこでは、厳然と贈与経済が大きな役割を演じているのである。
例えば、ロサンゼルスには、大きな博物館がたくさんあるが、中でも鉄道王ハンティントンの寄付した博物館は、その広大(約25万坪)な屋敷の植物園と、古書と英米文学のコレクション(約160万点)と美術品のコレクションで有名である。この博物館は入場無料である。そして、この屋敷、建物、コレクションの数々がみんな彼の財産であって、死後寄付されたものである。これを信託基金が運営している。もちろん博物館であるからには、無料といっても、決して人員を手抜きしたりはしない。学芸員がしっかりとサービスしてくれるし、世界中から研究者が集まって、コレクションを資料に勉強している。
マリブにあるJ・ポール・ゲッティ博物館も、ミネソタ生まれで、ロサンゼルスで少年期を過ごしたことのあるゲッティ氏が、ヨーロッパで集めた古代ギリシャ・ローマ美術品のコレクションを、老後の生活を楽しむために作ったマリブ海岸の大邸宅に置いて、公開したことから始まった施設で、生涯学習プログラムをはじめ、館内ツアーや研究など、さまざまな活動が行われており、入場はやはり無料である。こうした寄付があるのは、遺産相続に対する税金を回避するためだとひややかに受け止めている人もいるが、逆に考えれば、個人のコレクションを公開させる仕掛をアメリカ社会は持っているということである。
今、日系アメリカ人ナショナル博物館の設立準備が、ロサンゼルスで進められている。ここでも、基金づくりが重要な課題である。展示物も寄付によるところが大きいし、場所や建物も、寄付や政府からの信託によるもので、非営利で運営することになっている。寄付やボランティアの申し込み書には、「私は日系アメリカ人ナショナル博物館に免税になる献金をもって支持します」という文言が書かれてある。このような免税という仕掛があって、市場経済や公共経済とは違った、もうひとつの贈与経済が刺激され、いろいろな文化活動や福祉活動が生み出されているのがアメリカ社会なのである。
高齢者福祉といった社会サービスの分野でも、このような非営利信託基金の仕掛が使われることがよくある。ロサンゼルスには、日系人と日本人に対する社会サービス機関として、リトル・トーキョー・サービス・センターというのがある。ここでは、麻薬患者になった日本人のための救援センターといったことまで行っているが、ここでも、たえず、基金を集めるためにいろいろな催しを行っている。パーティを開いて、人々を会費制で集め、その会費の半分は基金にいれて、あとの半分で食事をしながら、寄付をした人を称え合うというのもそのひとつである。プレゼンテーターが賛辞を延べ、表彰者をフロアーから呼び出すというやりかたなどは、きわめて形式的であるが、その賛辞はきわめてユーモアに富んでおり、ひとつのショーとしてそれなりにおもしろい。絶えずこうして、自分達の活動をお互いに賞賛し合い、基金を集めて仕事を作っていくというやり方は、アメリカでは一般的な方法である。
教会に対する宗教的な献金という慣習が根底には流れているようであるが、これを応用したさまざまな奉仕団体、ボランティア団体、クラブ組織がアメリカの経済の中でもっている機能は、もうひとつの政府といってもいいほどの力があるといえよう。日本では、寺院神社は、こうした機能を果たせず、京都の拝願料問題の顛末に見られるような有様で、どうも、高齢化社会にむけて、なんらかの期待をかけることさえためらわれる。しかし、このような寄付や信託基金といった活動を免税で活性化させるというやりかたは、今後、日本でも税金を高くしていくことと引き換えに取り組まれることになるだろう。
アメリカ社会の高齢化はこれからもまだまだ進行するといわれているが、それへの取り組みは、日本ほど危機的な悲壮感を伴ってはいない。それは、高齢化に対応する仕掛が、市場経済でも公共経済でも、そしてもうひとつの贈与経済においても、既に起動し始めているからかもしれない。
(これらは、1990年の山口経済研究所の月報に連載されたものである。)