第2章 調査対象地の概要

      第1節 北九州市の地域概況



    3 北九州市の都市の性格と高齢化:八幡と若松


(1)インナーシティの形成

 最初に、北九州市の人口動態をみておきたい。北九州市は、新日本製鉄(旧八幡製鉄
所)の規模縮小に代表されるような工場の移転の影響を受けて、かつての繁栄は失われ
た。いま、そのために国際化を柱とした新しい都市へと模索中である。

 表−3をみると、北九州の人口は昭和55年の1,065,078人をピークにして、今日では
漸減傾向を示しつつある。7つある区のうち人口増加を維持できているのは、小倉南区
と八幡西区、そして若松区だけであり、残りの4つの区はいずれも減少傾向を示してい
る。そのうち減少の激しいのが、八幡東区、戸畑区、門司区、小倉北区で、いずれもが
工場地帯を区域に持つ行政区である。工場の合理化により規模縮小や移転が進み、出向、
配置換えが進む中で従業員の減少が進んでいった。新日鐵の基幹工場の置かれていた八
幡東区の場合、八幡地区に置かれた工場のほぼ全てがいまや稼働していない状態にある。
したがって、昭和50年から平成7年までに約人口は4万人減少していった。若松は断続的
な増減を繰り返してきた。それに対して八幡東区は昭和40年以降一貫して減少している。
八幡西区は昭和50年以降増加してきたが、平成8年に減少に転じている。これと反対に門
司区は、一貫して減少してきた人口が平成8年に増加に転じている。

   表−3 北九州市の各行政区別の人口動態の推移

   表−4 八幡区及び八幡東区における就業構造の推移

(2)産業構造

八幡東区、西区、若松区の産業構造の変化を就業構造の時系列変化からみてみたい。

表−4より八幡東区の就業構造の変化をみると、八幡東区が製造業からサービス産業に
移行したことがわかる。西区と分離する前の昭和35年には、製造業の就業者数が全体
の37.4%みられたが、以後漸減し、昭和50年に30%を割り、平成2年では18.7%にまでな
っている。これに対して卸し・小売りは昭和35年の18.8%から平成2年の28.9%にまで、
またサービス産業も同じく14.4%から24.9%にまで増加している。

   表−5 八幡西区における就業構造の推移

八幡西区の場合も同様である。八幡西区は製造業は昭和50年の31.09%をピークに漸減
して、平成2年には21.72%にまで減少した。東区に比べると西区の方が製造業の占める
割合は高いものの、製造業の占める比率が減少している点では東区と同様である。西区
は卸し小売りとサービス業の占める割合が増加してきた。特にプリンスホテルの進出、
大学の開設などにみられるようにサービス産業の増加が顕著である。その他では金融保
険・不動産の増加がみられる程度である。金融・不動産が若干のびている程度である。
建設業もやや減少している。

八幡東区と西区に比べると若松区の就業構造はちょっと違った特徴を示している。若松
区では製造業の占める比率が昭和35年に23.67%であったが、その後増加に転じ、昭和50
年に29.1%を占めた。そして、その後比率自体は減少したが、昭和60年から平成2年の5
年間に再び増加に転じている。つまり、昭和50年に製造業就業者のピークを迎え、その
後減少していたが、最近増加傾向を示しているのである。卸し小売りの就業者数は21%

前後を推移していたが、昭和60年をピークにやや減少に転じている。一貫して増加傾向
を示しているのは唯一サービス業である。農業の比率も北九州市の中では高かったが2.
14%にまでなっている。建設業はやや増加傾向を示す。

   表−6 若松区における就業構造の推移



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