地域社会を解読する

  1. 地域に生かせ熟年パワー
  2. 瀬戸内海の水質保全
  3. 地方選に望むこと
  4. 発想の逆転で多彩な活動
  5. 蛙の声は雑音か
  6. 過疎を逆手にとる
  7. ものがたる空間
  8. 地域愛の生産力
  9. 縁結びの聖地
  10. 安心感の代価
  11. 待つことに耐える
  12. アンチ・スキゾ族出現
  13. 「非経済林」のすすめ
  14. ふるさとオーナーの意義
  15. 標識とボタンと焦燥と
  16. 空き家は廃屋にあらず
  17. 互助論の可能性
  18. いい男・いい女のいる町づくり
  19. 地域振興イベント盛ん


地域に生かせ熟年パワー

 日本社会の高齢化は大変なことだと警鐘がが乱打されている。  
一方でいわく、年金制度は実質を伴わない約束だ、老人医療無料化は病院待合室を老人サロンにしてしまった、うんぬん。確かに、このような老人問題キャンペーンは、私たち一人一人の生活がこのままではいかなくなるだろうと考え直すきっかけを十分に与えてくれた。  
 他方、広告会社電通の熟年キャンペーンは、新聞活字のポイントを大きくすることだとか、国鉄のキャッチフレーズ「フル・ムーン」などにも生かされている。そこには、高齢化は避けて通れぬ課題として、むしろ積極的に経済の仕組みの中に位置づけて開花しようとする動きが感じられる。  
 私は、既に高齢社会のまっただなかにある日本の農村社会から多くのことを学ぶべきではないかと考えている。特に山口県は広島県に次いで高齢化農村として、日本第二位の位置にある。高齢化農家率(専業農家で、男子生産年齢人口のいない高齢者だけの農家の率)は全国三一・五%に対して、山口県は六十六・八%と第一位を誇って(?)いる。今こうした農村で高齢者がどのような生活をしているのかを見聞しながら、私は次のようなことを考えている。  
 地域社会を「産地」や「工場」機能だけでとらえようとすると、高齢者はとかく生産性の低い劣悪労働力とみなされる傾向が出て来る。終身雇用とは名ばかりで、定年制によって、高齢者は現場から追放される。そこで高齢者は、「社会的」に死ぬ。現役を退いた人は世間的に敬して遠ざけられ、「心理的」に死ぬ。しかし医療のおかげで、「生理的」にはなかなか死なない。そんな動きは、都市だけでなく、産地形成に血道をあげる農村でもみられる。そこで高齢者はつぶやく。「もうわたしのやることはなにもない」  
 「産地」や「工場」として、衰退する段階にさしかかっている農村では、逆に「いつまで、わたしをこきつかうのか」という高齢者の悲鳴が聞こえてきそうである。  そこで、地域社会の「産地」機能にとらわれることなく、「社倉」機能(危機に備えた地域内自給体制)や「緑地」機能(国土保全とレクリエーション)や「劇場」機能(人生というドラマの演出と記念碑)といった側面に目を向けてみよう。それらは、いずれも社会的必要である。その必要を満たす限りで、効率の良さの追求は許されている。だが社会的必要を満たさないで、効率の良さだけを追求すると、弱者のところにしわ寄せがくる。  
 「社倉」機能の補強に向かう時、高齢者は、菜園づくりのベテラン、地場流通の担い手として重要な任務を負うていることが明らかになる。柳井市の日曜朝市を支える生産者たちの多くは高齢者である。  
 「緑地」機能は、国土保全や環境美化の活動によって支えられている。高齢者たちの環境美化活動は、各地でめざましい。花いっぱい運動や河川のコイ放流に力を入れたり、過疎の村で山を手入れしている高齢者の活躍は大きい。  
 地域社会の「劇場」機能とは、住民の人生ドラマが演じられる舞台として、人生の記念碑の立てられる場としての意味を持っているということである。老農、老工人の芸術的活動、心の遺産づくりにいそしむ姿は、次に続く世代に新鮮な感動をよびおこす。今各地で高齢者の創作活動が始められ、自分史を語る試みが生まれている。  
 高齢化時代の地域社会で、「産地」機能だけを特化させて整備するやり方は不適切である。行政の文化化が叫ばれるように、地域社会の「社倉」、「緑地」、「劇場」という文化的機能を重視することが、全体としての地域社会の整備につながり、ひいては「産地」形成の基盤づくりになると考えなくてはならない。  
 性急な「産地」形成をこえて、高齢者の熟年パワー発揮の場を開発し、高齢者の役割転換を図って、高齢社会にふさわしい世代交代サイクルや、地域社会運営のシステム化をはぐくむことが、これからの課題ではないだろうか。  
 「高齢化社会にむけての地域行動計画」に早急に取り組む必要性を痛感している。(1982年月23日中国新聞、地域社会への提言)


瀬戸内海の水質保全

 「すむ」という言葉は、「住む」にも「澄む」にも通じているように、住む場所は澄んでいなければならない。もし、そこが濁ってくれば、住めなくなるのである。それだけに、住み続けるためには、澄んだ環境を保全しなければならない。したがって、水の問題は、治水(水害防止)、利水(水資源利用)の観点だけでなく、水質保全の観点から見直される必要がある。そして、水質保全は、流域に住む人全員の課題なのである。  
 昭和四十八年に瀬戸内海環境保全臨時措置法が制定され、昭和五十三年には一部改正して、瀬戸内海環境保全特別措置法が成立した。山口県はこの法律に強い関係を持っている。そこで、瀬戸内海環境保全協会は、昨年初めて県下の沿岸住民の環境保全についての意識調査を行った。  
 その結果報告書によれば、瀬戸内海の水質は、「以前と比べて汚れてきており、これからもひどくなるだろう」と感じている人が多く、今後とも水質保全には、一層の努力が必要という点は変わらない。けれども、注目すべきは、水質汚濁の原因は、工場や事務所の排水だけではなく、家庭雑排水にもあるということが強く意識され始めている点である。とかく環境汚染に際して、住民は被害者となり、加害者としての工場や事業所を非難するだけに終わりがちである。けれども、事が家庭雑排水の問題ともなると、住民は被害者意識だけでなく、直接的な加害者としての意識を持たなくてはならない。被害者であると同時に加害者でもあると知った時に、生活様式そのものの反省が生じ、改善に対する努力も生まれて来る。 
 調査結果では、瀬戸内海に生活が強くかかわっているほど、そうした認識も改善努力も大きくなっていた。特に、仕事の関係でほとんど毎日かかわりを持っている人は、環境保全情報をよくキャッチして、個人でも家庭でも、地域社会でも、水質保全の努力を傾ける人が多い。  
 逆に、瀬戸内海に出かけることも、眺めることもほとんどない人々は、環境保全についての情報をあまりキャッチしないし、個人的にも家庭的にも、あるいは地域社会としても水質保全についての意欲が低い。  
 その両極の間には、ほとんど毎日海を眺めて暮らしている人、海水浴・魚釣りなど行事やレクリエーションで、年に何回か出かける人、旅行などの時に眺める程度の人たちが位置する。  
 そこで、これから瀬戸内海の水質保全をさらに一層進めていくためには、「瀬戸内海に縁がないと思っている」人々の意識駅発にねらいを定めて、少しでも生活の一端が、瀬戸内海にかかわっているという実感を持ってもらうことが重要である。水に親しむことで、水質保全の大切さを知ってもらうという事業は、一般にイベント事業とかシンボル事業と呼ばれるもののひとつである。  山口県下では、一ノ坂川や木屋川のホタル護岸や、柳井、徳山、小郡などのコイの放流など、川の水質保全の目安となる生物を用いて、人々の関心を引き寄せるという卓抜なイベント事業が推進されている。これは他県の人々の注目する所となって、全国的に生物指標を用いたイベント事業は広がりつつある。  
 その他にも、河川敷公園や河川プールなどもできており、自然海浜保全地区制度も導入され、多面的にイベント事業が展開し始めている。岐阜県では、岐阜市の観光の目玉であるウ飼いのためには、清らかな水が必要であるとして、上流の高鷲村などと提携して、水源かん養林を育成する「たずさえの森」を今年から発足させるという。岐阜市民は高鷲村の村有林に植樹し、下刈りにも参加し、その他の必要な作業は、現地の森林組合にまかすという事業である。林業の村にとっては、林業振興の一助とあんり、岐阜市民にとっては、治水や水質保全につながる試みといえよう。  
 これからは、山口県でも、山と川と海を結ぶ水域・水系住民の心をつなぐダイナミックなイベント事業を考えてみてはどうだろうか。             (1982年11月22日中国新聞、地域社会への提言)


地方選に望むこと

 山口県の議員に現在求められているものは何であろうか。とかく中央政界の勢力争いに振り回されて、代理戦争をすることに堕してしまいがちの地方選である。けれども山口県民生活の課題解決を、県民にかわって論ずべき議員は、むしろ中央政界と太いパイプを結ぶことより、もっと真剣に考えてもらいたいことがある。 
 これまでは、ほとんど行政マンの手によって立案された条例、要綱等をもとにして、その事業の「分配」に際して、「私が口をきいてやろう」とばかりに支持者への利益誘導を図り、現世利益(げんせりやく)を求める有権者の歓心を買うというつながり方があったのではないだろうか。  
 補助金というパイの分配に際して力があることを誇示するだけでは、真に山口県民の生活を改善することににはならない。特に、これからの時代を切り開いていくためには、山口県の現状について問題意識を鋭く持って将来構想を論じ、実情にあった解決策を考えるオピニオン・リーダー(世論形成の指導者)としての力が強く望まれる。  
 いわば、「補助」の考えから脱皮して、「自助」と「互助」の考えに方向づける指導者としての政治家こそが、地域社会にとって必要といえる。自治体(コミューン)やコミュニティの語源は、「ともに義務を負い合う関係」からきていることを思い返してみる必要があるだろう。  
 山口県で進められている「あたたかいふるさとづくり」の運動とは裏腹に、選挙の季節は「つめたい政争づくり」に向いがちである。  
 そうならさないためには、県民は本来のコミュニティの精神である「自助」と「互助」に早く目覚めなければならない。だれかが何とかしてくれるだろうと手をこまねいて待つのではなく、できることから自分がやってみる、お互いに協力しあうということが大切である。  
 稲作農業で補助金行政のとりことなり、就職しては企業城下町の捕らわれ人となってしまう山口県では、「張り番選挙」や「ぐるみ選挙」が生じ安い体質にある。世論を形成し、それに基づく法を立案し、課題解決にむかうためには、むしろ議論を百出させた方がよい。少数派の意見が圧殺されるのは好ましいことではないだろう。  
 まず自分たちの生活の中で一番問題になっていることを、一人一人が発言し、お互いに気づいたことを、まず自分で、そしてみんなで協力し合ってやってみて、そこでどうしてもお互いが守らなければならない約束事を精選して取り決めるという住民自治の精神が発揮されてこそ、政治支配の正統性が成り立つのである。そのためには、有権者自身が「かけがえのない一票」の行使にもっと本気にならなくてはならない。自分自身に対しても、他人に対しても、良心の自由を大切にする謙虚さが必要である。  
 このような「自助」と「互助」の精神に目覚めた有権者が生まれて来れば、自らも立候補し、新しく政党を組織して、政策を世に問う行動も出て来るはずである。  
 高齢有権者諸氏よ。あなた方の「心の遺産」を世に問うてみてはどうか。福祉サービスの受給者に甘んじない気概を、そして望ましい世代交代のあり方を示してほしい。それが議員の考え方にも反映することを期待したい。  
 婦人有権者諸氏よ。あなた方は「夫唱婦随」であることをちょっと置いて、あなた自身が言わなければならないことを世に問うてみてはどうか。山口県の農業を担っているのは女性であること。余暇時間の使い方では、男性より少し先んじていること。男性を家庭に取り戻せば解決できるものもあること。そのような発言が、議員の姿勢を測るものさしになることを期待したい。  
 若者有権者諸氏よ。あなた方の組織アレルギーを逆手にとって、全員立候補する「つもり」になって、考えてみてはどうか。これからの山口県を担っていくのは自分達であると宣言することで、政治地図が動くことを期待したい。  
 渡り鳥有権者諸氏よ。「あっしにはかかわりのないことでござんす」といわずに、ぜひ一票を。  
 そして全有権者よ。一票はかけがえのない一票であり、買ったり売ったりするものでないことを肝に銘じようではないか。            (1983年4月3日 中国新聞)


発想の逆転で多彩な活動 

 「過疎地」という言葉が使われ出して久しい。過疎になった地域を語る時には、つい嘆いたり、ぼやいたりする人が多いのであるが、近年はひと味違った声が出始めている。例えば広島県の山村に住む若者を中心にして、「過疎を逆手にとる会」はユニークな活動を展開している。  
 過疎を魅力ある可能性と読みかえて、発想の逆転をねらうこの会は、過疎地につきものの廃校を利用して、「ふるさとセンター」という多目的利用施設を設置して、人間交流の場にしたり、名所旧跡はなくても絵はがきは作れると「ことばハガキ」と銘打って売り出している。あるいは廃屋でコンサートを企画し、永六輔、中村八大を呼ぶ。さらには、ないということは何でもやれることだとばかりに、寄付した人に署名をしてもらって「落書きピアノ」を手にいれたり、全国の有志に呼びかけて、「逆手塾」を開催し、居ながらにして町づくり村づくりの知恵を学習するといった具合いに多彩な活動を繰り広げている。  
 過疎地の人口減少は鈍化したといわれるが、高齢者が多いため、死亡による第二の人口減少を心配する向きもある。「過疎を逆手にとる会」のような若者中心の活動は、ひとつの希望を宿しているが、事態は決して容易なものではない。私は高齢化日本の先進地として、過疎地こそ将来に向けてのさまざまな知恵の湧き生じる場であると想っているので、ぜひ「シルバーパワーをいかす法」を考えて、実現してみてはと助言している。若者と高齢者が相互に相手を「あてにできる」関係をつくりあげることが急務であろう。          (1983年6月8日 読売新聞 列島’83)


蛙の声は雑音か

 都会はおしゃべりである。きらびやかに点滅するイルミネーション、威圧的な大きさの看板、矢印で虚空を指示する交通標識、自動車やバイクや電車のうなり、カラオケやステレオで増幅された音、このあふれんばかりの音と光に至福を感じることができるのは、都会というテキストの過剰なシンボルと付き合い上手な人たちである。それだけ想像力もたくましいといえるだろう。一編の書類に打ち込まれた文章と数字から、犯罪ドラマを想像しうる人たちは、もし都会の過剰なシンボルから隔離されたら、自らの想像力をもてあましてしまうのかもしれない。 
 都会で多いのは騒音の苦情である。ピアノ騒音殺人事件などが生まれるほどである。名古屋の郊外で調査をした時、「蛙がやかましい、何とかしろ」と市役所によく電話がかかるということだった。住民に確かめてみると、やはりやかましいと言う。おしゃべりな都会にあっても、沈黙と静寂が欲しくなる時間があり、その時間だけは、想像力も小休止して、疲労を回復しなければならない。ところが、都会はおしゃべりはやめてはくれない。仕方なく自らを都会から隔離しようとするが、そこへ蛙の声が飛び込んでくる。突然活性化した想像力は、蛙を憎み、水田を憎み、農家を憎み、農政を憎むことになる。  
 雑音とはいまだ学習されざる音である。過剰な想像力をもてあそばずに、蛙と親しくふれ合えば、雑音も個性ある音に変容する。             (1984年7月4日 毎日新聞 視点)


過疎を逆手にとる

 村は寡黙かと言うと、必ずしもそうではない。風のざわめき、川のせせらぎ、鳥や虫や家畜の声、四季折々の花と葉の色、土の香り、魚の影。村にあっても、豊富なシンボルは与えられている。  
 だが、想像力が決定的に欠如していた。つまり想像力の担い手である人間が数少なく、またあまり想像力をたくましくすることを自制していたからである。それで一見寡黙に見えただけである。  
 「過疎問題」の取材や調査に来た都会の人たちが、「過疎→少ない人口→取り残された孤独→廃村」といった連想によって村びとに接する時、確かにそのイメージを裏付ける姿が現れるだろう。  
 しかしそれは、村がまるで鏡のように相手の心を映し出しているだけの話である。相手次第でどのようにでも反応できるのは、想像力をできるだけ節約しているからできる芸当である。  
 だが村人は、いつしかオウム返しの対応に飽き始めた。「あんたの所は過疎だ」、「そうだ過疎だ。しかし老人は過密だ」、「あんたの所は自然が豊かだ」、「そうだ豊かだ。しかし雑木林は乏しくなっている」・・・・・・。一方的なレッテル貼りにうんざりした人びとは、「だがしかし」とつぶやきはじめている。  ほんの少しばかり、想像力を解放して、実践につながるおしゃべりをしてみようと、中国山地に生まれた「過疎を逆手にとる会」(代表安藤周治・作木村)は、「老人が町村の救世主になる法」などを論じ始めている。              (1984年7月11日 毎日新聞 視点)


ものがたる空間

 昭和五十九年四月八日、薬玉が割れ、チャボが放たれ、「チェリー連邦共和国」が誕生した。広島県沼隈町桜地区での話である。吉里吉里国、新邪馬台国、ヨロンパナウル王国、チクリン村など、地方自治体のパロディ建国がブームになっている中で、ついに町の中の小さな地区が建国した。多くのパロディ国家は観光や地場産業振興をめざすイベントとして考えられているのに対し、チェリー連邦共和国は、住民の交流と連帯をねらっていた。  
 町の中でも人口が集中してくるこの地区に、町営住宅が建てられることになって、従来からの住民は戸惑った。ある宗門の熱心な信徒として結束を誇っていた地区に、異教徒が住むようになるかもしれぬ。政教分離の建前からいうと宗門の掟は信徒にしか及ばない。新しい住民連帯の原理を知らずに、町営住宅をつくってしまった後では、新旧住民のいざこざを招いてしまうだろう。  沼隈町は、住民の自主的なまちづくりを援助するために「地域づくり推進計画治ぎょ」を進めているが、桜地区の住民はこれに立候補して、たとえ思想新庄が異なってもみんなで協力しあう社会のモデルを連邦共和国にみたてて、このパロディ建国事業を推進したのである。  
 議事堂にみたてて建てかえられた老人集会所は元の布教所である。その一角に舞台と呼ばれるものがたり気な空間がある。それは祭壇が置かれていた場所であった。             (1984年月18日 毎日新聞 視点)


地域愛の生産力

 商品としての農畜林産物を作ってもうけるという考え方が、今ではもう自明の事がらになっている。だが、商品になる農畜林産物の影には、商品にならない農畜林産物が捨てられてきたという事実がある。ところが最近、そのような捨てられる運命にあったものが、「もったいない」とか「かうぃそう」といった感じで手をさしのべる人びとの手によって、新しい息吹を吹き込まれ始めている。  
 福岡県の北野町では、傷物で商品にならないニンジンから、焼酎や味噌や酢をつくり出した高校の先生がいる。宮崎県の諸塚村では、くずのシイタケの表皮を利用して飾り絵やタイピンを作っている婦人がいる。山口県の下松市では、廃鶏を自宅の庭で放し飼いにすることで採卵鶏に復帰させている老人がいる。愛媛県の新宮村にはツヅラでインテリア用品をつくっている婦人がいる。  いずれも、こよなく地域を愛している人たちの営みの中から生まれた作品である。地域はさまざまな恵みを与えているが、それを十分に生かしきれない人間の側の発想が貧困であることを、これらの事例は教えてくれる。はじめから、もうけようという目で見ていてはできなかったことであるかもしれない。「もったいないから、何とか生かそう」という気持ちから発している活動にとって、もうけは後からついてくるものである。  
 こうした生産力を、地域愛の生産力と呼んでみたい気がする。      (1984年7月25日 毎日新聞 視点)


縁結びの聖地

 まちづくり、むらおこしの声が高まっているが、一体、だれがその地域の主人公になるのであろうか。壮年男性の考えだけで地域振興を図ると、若い女性はソッポを向いてしまうこともある。だからこそ「嫁に来たくなるまちづくり」という目標が生きてくる時代なのである。だが、こんな話もある。  
 昭和五十六年十一月、広島県豊松村で道路工事を進めていたところ、二基の五輪塔が掘り出された。近くの集落の人たちは、仲良く並んで埋まっていたこの石塔を、仲の良い夫婦の墓ではないかと想像し、これを安置して供養した。おそらく集落の人たちの願いは「山村ではなかなか嫁の来手がないが、何とかして下さい」といったものだったのだろう。  
 すると不思議なことに、六軒のうち五軒で縁談がまとまり、口伝てにこの話を聞いた人たちが次々に、石塔にお参りに来るようになった。いつしか、石塔は「幸運仏」と呼ばれるようになり、縁談のまとまった人たちは、お礼にのぼりを奉納し、次第にその地は聖地として形成されはじめた。  
 幸運仏をたずねてくる人が道をきくことも多くなったので、村の人たちは道しるべを立てた。参拝客にお接待をしようとテナント小屋ができ、甘酒を勧めながら、地元でとれるコンニャクや焼き米などを土産として並べ、交替で村の人たちがサービスに努めはじめた。こうして、地域の聖なる中心は、人々の想いを収れんさせて活性化する。 (1984年8月1日 毎日新聞 視点)


安心感の代価

 新聞の紙面を開けたり、テレビのチャンネルを回すと、そこには阿鼻叫喚の世界がある。途方に暮れた人びとが浮かびあがってくる。普段、だれの世話にもならないやと、つっぱった生き方をすればするだけ、いざという時に頼る「人」がいなくなり、解決策は過激になり、「非人間」的になってしまう。  
 多くの人は、わが家の恥を近所に知られまいと、とりつくろいながら生きている。気楽な生活を、「解放区としての地域社会」に求める生き方の裏には、底知れぬ不信と不安が潜んでいる。だが、身近なところで、地域住民あげて相互扶助する仕組みづくりが試みられることもある。  
 山口県阿東町の一集落に「囲穀制度」というのがあった。集落十一戸が一定の量のモミ(後には玄米)を集会所の共有倉に貯蔵し、不作年や戸どもが多くて食糧に不足をきたした時には、一定の利子をつけて借りることができるという制度であった。大正三年の三戸の人が約九石返納したという記録があるから、それ以前からあった制度だろう。こうした地域社会の互助の仕組みは、郷倉とか社倉という名で各地にあったが、各種の共済制度のもとに姿を消していき、同時に地域社会の中でも人を頼らず、金だけを頼りにする生き方が主流になり始めた。その破綻が阿鼻叫喚だ。  
 「都会人は好きな者同士のつきあいしかしない。だが、村ひとは好き嫌いを越えた付き合いをする大人だ」といった人がいる。             (1984年8月8日 毎日新聞 視点)


待つことに耐える

 待たされることへの苛立ちが、人の心をむしばんでいる。交差点、病院、プラットホーム、レストラン、エレベーターなど、いたる所に、待つことを最大の損失と感じている人の姿がみられる。  
 管理上、組織は特定の中心人物のスケジュール、あるいは規則に決められたスケジュールに合わせた時間割がデザインされている。そのため、管理化が進めば、待機の時間がどうしても大量に生み出されてくる。組織内の下級職員や、一般の人々は、ますます待つことが多くなっており、生活のあらゆる分野で、待たされることが増えている。  
 家にあって、主人の帰りを待つ主婦の苛立ちが、ついに「奥様族」を「外様族」に変貌させたように、相手次第で待つことに、嫌気がさして、放棄する人が増え始めている。今や、地域全体の人々が、待つことに苛立ち、何かにいそがしくいそしむことを望んでいる。  
 待機の時間は、自分の時間であって自分の時間でない中途半端な時間と捉えられるのであろう。だが、待たされる時にこそ、自己と他者のずれが自覚される。むしろ待つことのない時間の中に組み込まれた人にとって、彼我の関係は見えてこない。そしてあまりにも早く待つことをやめて、管理された時間に自分を組み込みすぎた人びとは、燃えつき世代のように死さえも待てなくなってしまう。  
 地域社会の中で、お互いに待ち合って、事をなす法を見直す必要がありそうである。 (1984年8月15日)


アンチ・スキゾ族出現

 地域社会にとっての人間とは、常住する人だけでなく、たまさか通りすがった人、いずれは転出することが決まっている人、遊びにやってきた人たち全てを含みこむ。たとえどれだけ定住社会を構想したところで、常住する人間だけをみて地域振興を図るわけにはいかない。一見常住しているようにみえて、実はパートタイマー的な人もきわめて多い。  
 地域社会は、その地域社会に関わりをもつ人全体を包んでサービスを与えなければならないが、住民参加とっても具体的な担い手層が現場にいない所も多い。こうした現状をそのまま追認すると、地域社会は広域化し、各種サービス機関のサービス・エリアの集積体になり、人々はそのエリアを渡り歩く放浪者になっていく。いわゆる地域社会のスキゾ族化である。  
 だが、「私たちはこの地域社会の主人公だ」と考えて、同志的集団をつくり、それを核にして、地域社会の同一性(私たちの地域は私たちの地域だ)を確立しようとという動きが出始めている。島根県羽須美村のように、あらためて自村の「ふるさと会員」に登録しなおしてユニークな事業の推進者になっている例、福島県三島町のように町外から特別町民を募集し、常住せずとも、さまざまな企画に参加したり、推進したりする人を得ている例など、日本各地でこうした動きが大小さまざまな形で現れている。今、しばらく、このアンチ・スキゾ族の動きに注目したい。(1984年8月22日 毎日新聞 視点)


「非経済林」のすすめ

 「猿に村が滅ぼされた」とか「カモシカに生活が脅かされている」とか「猪に畑を荒される」といった話は、単なる話ではなく、実際に住民を悩ましている実態である。  山口県に観光に来た人が、万里の長城のようにトタンを張りめぐらしてある風景に異様な感じを受けるというが、これも猪よけの窮余の一策である。愛媛県の御荘町では、民宿をやっている人が、家庭菜園をつくってもみんな猿にとられてしまうと嘆いていた。岐阜県加子母村では、肥料のきいたヒノキの苗木に含まれる塩分を好んでカモシカが植林し終わったばかりの山を荒すと話す人がいた。  
 「経済林」とか「人工林」という言葉があるが、どうもかなりの山が、こうした人間の手にかかりすぎて、他の動物の棲息条件を乱しているらしい。ある山林労働者は「山を育てたら、俺たちは山を追い出されることになってしまった」都嘆いていた。それは、山の集落にいても現場に山林労働の仕事がなくなったというだけでなく、田畑をつくろうにも、獣害に悩まされて、その地を離れなくてはならなかったということも含んでいる。  
 今ようやく、自然環境の破壊が至るところで、きわめて深刻に進んでいるという認識が広がりはじめているが、なお「経済」とか「人工」的発想が優位を保っている。早く、経済や人間の活動のすべての基盤である自然に対するコスト感覚を転換しないと、山を追われた獣たちは、人間を里から追い出すだろう。             (1984年8月29日 毎日新聞 視点)


ふるさとオーナーの意義

 農業によって生計を立てている社会を農村だとすれば、山林や田畑があり、田舎家風の住居があるからといって、そこは必ずしも農村とはいえない。あるいは第一次産業従事者の構成比が高い場合でも、やはり農村とはいえないところがある。  
 各地の実態を、住民の生活の質の面からみると、一見して農村とみえる地域が、「山林田畑持ちサラリーマン」の集住地といった方が適切な所も多い。統計的には農家であっても、実は農業で生計を立てていない人たちが多いのである。専業農家といっても、元は第二種兼業農家であって、勤め先を定年退職し、年金プラス営農という形態の高齢者をかなり多く含んでいる。  自治体は、何とかして「統計的農家」から名実共にそろった「経営農家」を見付け出して育成しようとするが、なかなか農業を経営する覚悟を持った人は見つからない。そのため農村整備もとどこおってしまう。  
 しかし発想を逆転させて、これだけ人気のある「山林田畑持ちサラリーマン」を、ひとつの生活様式として認めて、洗練させ、国土の高度利用の担い手として育成してみるのもひとつの方法だろう。  
 家一棟分の山林所有者を募集したりする特定分収林制度や、果樹一本契約や、たけのこ地主制といったいわゆる「ふるさとオーナー制」は、「山林田畑持ちサラリーマン」育成の芽生えなのかもしれない。  (1984年9月5日 毎日新聞 視点)


標識とボタンと焦燥と

 都市の魅力は何かと問えば、便利さだという答えが返ってくる。しかし、さまざまな標識を解読したり、ボタンを操作することに馴れていない人達にとって、都市は決して便利ではない。  
 標識やボタンによらず、人間同士が応答しあう場面では、都市は無知をさらけ出す。問われた人は「さあ?」と首をかしげ、あるいは何を問われているかを知ろうともせずに手を振りながら、あるいは視線をそらして逃げていく人もいる。  
 一緒に標識を解読したり、ボタン操作を教えてくれる人は少なくて、険しい視線と苛立ちの仕草を示す人が多い。都市にあってはすばやく行動することが強制されているようである。その規準から外れた人には、たえずまわりの観衆から言葉にならない制裁が加えられる。舌打ち、足踏み、にらみ、こきざみの体の振動、吐息など。  
 都市を道学者的に、あるいは禁欲的プロテスタンティズム風に、ビジネス社会と捉えてその正価値を実現する場とする限り、計算された標識とボタンの支配と、焦った観衆の非言語的制裁はますます強まっていくだろう。  
 だが、人間はそんな都市の中に、悪場所という反価値の空間を設けている。そこでは、計算をこえた混沌と過剰な言語の氾濫がある。拍手と哄笑が満ちている盛り場は、標識とボタンと焦燥のアングラ的世界である。(1984年9月19日 毎日新聞 視点)


空き家は廃屋にあらず

 日本はいずれ六十五歳以上人口の構成比が二十%を超えると騒いでいるが、山口県東和町の住民の三十四%は既に六十五歳以上という日本一高齢化の進んだ町である。  
 高齢化の進んだ地域は、過疎地や離島だといわれており、東和町も例外ではない。また過疎地には廃屋はつきものといわれている。だがこの点に関しては、東和町の事情は異なる。  
 ある集落の家屋の三分の一は空き家であり、一見廃屋に見えるが、須藤の基本料金が毎月支払われている! 
 盆正月には、この家にどっと帰ってくる人たちがいる。だから、空き家であっても廃屋ではなく、借りることさえ難しいいえなのである。  
 そして東和町には、高齢者の帰郷がある。ここで幼少の一時期を過ごした人が、勤め先を定年退職して、暫く空き家にしていた家に戻って来る。その数は決して少なくない。 帰郷してくる高齢者は、かなり豊かな年金生活者である。趣味も教養も豊かな人たちである。老人クラブの会長などの役についている人も多い。他方、島をずっと離れずに、ミカン園や漁を続けてきた高齢者は、国民年金や老齢福祉年金をもらいながら、なお仕事を続けている。  
 帰郷者と定住者のバランスをとるメカニズムは、いまだ顕在の協同作業、寄付、現物贈与による富の再配分のようである。空き家に水道の基本料金が払われている限り、定住者は帰郷者を迎え入れる心の準備を整えている。              (1984年9月12日 毎日新聞 視点)


互助論の可能性

 最近は、高齢化社会にむけて、いろいろな制度の調整が問題視されている。その論議の中で、自立とか自助という言葉がよく使われるようになった。「天は自ら助くる者を助く」という訳である。  
 自立・自助論が、当面批判の対象にしているのは、補助と公助のあり方の矛盾である。行政改革は、こうした動きの代表である。確かに、日本社会の管理主義化のもとで、煩雑な事務を伴う補助や公助の領域が肥大化し、形式的合理性のもとに、現実対応が鈍くなっている。けれども、補助や公助の全くない自立・自助論が成り立つ時代ではない。  
 性急な自立・自助論は、直ちに自由市場論に結びついている。高齢化社会に即していえば、働けるだけ働き、できるだけ貯蓄し、健康づくりをして、趣味を餅、豊かな社交を持続する人が増えるなら、熟年マーケットヤシルバー・マーケットといわれる市場開発によって新しい可能性が開かれることになるだろう。  
 だが、自立・自助論を自由市場論に結びつけていく時には、どうしても弱者の存在がクローズ・アップされてくる。そして再び補助・公助論が強化されるだろう。  
 むしろ今は、家庭や職場やサークルや地域社会における互助論の可能性をどれだけ引き出せるかを考える時である。問題を身近な所で、いずれ我が身と、身につまされる共感の上に立って考える訓練の時である。 (1984年9月26日 毎日新聞 視点)

いい男・いい女のいる町づくり

 ある町づくりの仕掛人と話し合った時、「あまり若い時から、町づくりを言い出した人間は、政治家や評論家になってしまう」という話が出た。なるほど、そんなものかもしれないと思う一方で、町づくりにとって政治や評論は抜きにしてはできまいと思った。  
 青年が、町づくりや村おこしの場面で期待されながら、なかなかやるなといえるような姿が見えてこない現実がある。政治も評論も青年にとっては、うっとうしいことであり、町づくりや村おこしも同じように、うっとうしいことなのかもしれない。政治や評論と町づくり、村おこしの実践活動を分ける考え方自体が、今の青年にとってみれば、「オジン臭い」ことなのかもしれない。  一番の関心事はなにか? 異性である。青年が生き生きと輝くのは、異性に見られている自分の姿に気づき、異性に認められようと張り切っている時である。  
 けれども、あんまりそれがあからさまであっては、嫌味なものである。さりげなく、しなやかに、そしてしたたかでなくては、面白くない。あからさまなのは、「野暮」、さりげないのは「粋」である。粋に張り切っている時、青年は光り輝く。地域づくりという方針が青年団の活動にはあるが、それも異性との出会いと対話交流が中心テーマになっていなくては、人の心をつかむことはできないだろう。政治は「まつりごと」、という。町づくりも村おこしも「まつりごと」のひとつだ。それは、面白くなくてはならない。それに取り組んだら、異性に胸張って、「俺はここにいるぞ」、「私はここにいます」と言えるようなものでなければならない。地域社会の中にあって、人びとが、喜怒哀楽を共にしあっている姿が見えなければ、共感を呼ばない。面白さとは、ニコニコばかりではない。カッカすること、胸キュンとなることもなければいけない。そんな人間ドラマをふるさとの山河を背景に演じてみたらどうであろうか。  
 山口のあの町あの村には「いい男」、「いい女」がいるそうだという噂が広がる町づくり、村おこし。そんなイメージを目標にしてやってみれば、政治も評論も、演出力からいえば無視できないことが分かるだろう。それらは「まつりごと」であり、人びとが、自らの姿を再発見する機会を与えるものである。           (1985年10月1日 防長青年 第6号)




地域振興イベント盛ん

 地域振興イベントが盛んである。自治省の調べでは、今年九月から十二月までに、自治体が主催するイベントは五百十八件にのぼるという。行政の文化化だとか、文化行政が、このような形で進められているのだろう。だが、ちょっと気になる点がある。  大分県の一村一品運動のむこうを張って、熊本県はくまもと日本一運動を展開し始めている。この運動は、昭和五十九年九月に公にされた「熊本・明日へのシナリオ−活力・個性・潤い−」の中で示された戦略の中の一つである。ところが、この「シナリオ」作成には、大手の広告代理店電通がかかわっているのである。 地域振興のため、調査から計画策定、報告パンフレット、イベント企画まで、このような大手の広告代理店が乗り出してきた例は、どうも最近のようである。博報堂あたりもかなり積極的だという。それは、地域振興にとって、協力な支援になると受け止められている。確かに堅苦しい報告書しか出さなかった自治体が、広告代理店にまかせて、読みやすい報告書を出すよういなったことは数段の進歩である。  
 けれども、本当にそれでいいのだろうかという疑問も残る。いま、地域社会がおちいっている危機は、自治体とは名ばかりで、自治を担う人がいないという状態である。だからこそ地域振興の担い手づくりに、自治体は必死になっているのであろう。  
 それなのに、自治体が、地域振興イベントまで、中央の大手広告代理店に委ねてしまってよいものだろうか。手づくりの精神を忘れたイベントは、現地の住民をシラけさせるだけである。まちづくり、むらおこしに、大手流通資本や広告代理店が参加するのをいとうものではないが、そのことによって「やはり中央の会社にはかなわないや」とあきらめる風潮を、地元の住民に植え付けないよう、自治体は注意する必要がある。            (1985年11月25日 読売新聞 列島’85)