1. はじめに
構造敏感な特性を示す磁性多層膜の微細構造に関する知見は、研究・開発における基礎的で重要な情報の1つである。評価項目として、膜厚とその平滑性、周期多層膜における人工周期、結晶組織とその配向性、結晶構造および格子歪み、界面の組成プロファイルと凹凸状態などがある。表1のようなバルク材料の分析や表面分析に用いられている様々な手法が用いられているが、ここでは、X線および電子線を用いた解析手法1)-6)の磁性多層膜への適用例を概説し、次に、X線回折法による磁性多層膜の構造評価の基礎について述べる。
2. X線を用いた磁性多層膜の構造解析手法
X線は波長領域20Å〜0.1Å、エネルギー領域 500eV〜100keVの電磁波である。X線と物質との相互作用をプローブとした主要な解析手法として、(a) 弾性散乱X線を利用するX線回折法、(b) X線の鏡面反射を利用する反射率法、(c) 蛍光X線分光法、(d)X線の吸収率を測定するX線吸収分光法、 (e) 光電効果を利用する電子分光法などがある。また、高輝度で波長可変なシンクロトロン放射光を用いたX線磁気円二色性(MCDまたは磁気XAFS)などの新しい解析手法も用いられるようになっている。X線分析技術の現状と今後の展望に関する総説集として文献(1)がある。
(a) X線回折法(XRD: X-ray Diffraction)7-21)
X線の波長が原子サイズと同じオーダーであるため原子配列の決定が可能であり、電子やイオンビームなどのプローブより物質との相互作用が小さいために、非破壊的な材料評価が可能である点を特徴とする。多層膜の構造解析では最も基本的な解析手法であり、種々の局所構造の解析手法を適用する前に必ずも使用すべき手法である。詳細については4節で述べる。
(b) X線反射率法(GXR: Grazing X-ray Rflectometry)17-19)
物質のX線に対する屈折率の違いを利用し、界面により反射されたX線の強度および角度分布から、界面の構造が評価される。複数のほぼ平行な界面を有する薄膜材料の場合には、反射波の干渉により、界面間の相対的な位置関係が評価できる。ただし、遷移金属の特性X線を用いた場合には、屈折率はほぼ1に近く物質による違いもかなり小さいので、十分な反射率が得られる領域は小角域に限定される。1931年に発表されたKeissigによる研究を嚆矢とし、旧くから多数の研究があるが、1970年代後半から盛んとなった人工多層膜をシンクロトロン放射光用の分光素子として利用する研究の進展にともない、界面のラフネスを評価する手法として発展した。界面のラフネスの定義とその定量的な評価手法については現在でも多数の研究がある。巨視的な反射率は原子によるX線散乱の集積によるが、X線の多重散乱を考慮する必要があるため、可視光の反射率の計算と同じ手法が用いられる。X線の波長依存性が重要であり、異常分散の利用により情報が増す22)。
(c) 蛍光X線分析法(XRF: X-ray Fluorescence Spectroscopy)1,13)
蛍光X線を利用する方法として、X線定在波法がある。完全結晶のブラッグ条件下では、反射波と入射波が干渉して定在波を生じるが、結晶をわずかに傾けると、定在波の腹と節の位置が連続的に変化する。腹の位置が原子面の位置に近い場合(原子面の位置における電場の振幅が原子のX線吸収端より高いエネルギーに相当するとき)蛍光X線が発生する。Ni/C多層膜における界面での相互拡散に関する研究23) などがある。蛍光X線の薄膜からの脱出過程における干渉現象を利用した構造評価手法も用いられている。24)
(d) X線吸収分光法 XAFS ( X-ray Absorption Fine Structure)1)
X線吸収率の波長依存性から構造に関する知見を得る。EXAFS ( Extended X-ray Absorption Fine Structure )は、X線の吸収端より少し高いエネルギー領域における吸収係数の振動パターンから、ある特定元素の周りの配位環境を評価する手法である。X線吸収に伴い原子から放出される光電子が、周囲の原子により散乱され、干渉効果により吸収係数が変化する。吸収原子の周りの局所構造が評価できるため、非晶質や極薄層の構造評価に特に有効である。Ta/Si多層膜の界面におけるシリサイドの生成に関する研究26)、視斜入射法によるNi/AlおよびNi/Ti多層膜の界面における相互拡散に関する研究27)、 Cu/Co(100)人工格子中の格子歪みの研究28)、Fe/Re人工格子中の準安定hcp-Feに関する研究29)などがある。
(e) 光電子分光法(XPS: X-ray Photoelectron Spectroscopy )
X線の照射により発生する光電子/オージェ電子のエネルギーを測定することにより、原子中の電子の結合エネルギーを評価する方法である。光電子と物質との相互作用が強いため、真空中で測定する必要があり、試料の表面から5nmまでの深さ領域の情報だけが得られる。多層膜の界面の構造評価を行うに当たっては、アルゴンイオンなどを用いて試料をエッチングしながら測定を行う必要がある。内殼電子の励起による光電子の強度測定により組成の深さ依存性を調べる事ができるが、イオンエッチングの効果に問題がある。
表1 磁性多層膜の構造評価手法と適用範囲

3. 電子線を用いた多層膜の構造解析手法 4-6,29)
材料分析に用いられる電子線のエネルギーは数〜数100keVであり、物質との相互作用もかなり強い。薄膜・多層膜の構造評価に用いられている主要な手法としては、透過電子顕微鏡法(TEM)、反射電子線回折法(RHEED)がある。分析電子顕微鏡(走査型透過電子顕微鏡 STEM)を用いた元素分析法も、電界放射型電子銃の採用によりかなり高分解能化が進んでいる。電子線以外に、イオンビームを用いたラザフォード後方散乱法( RBS: Rutherford Backscattering Spectroscopy )30)やMEIS法 ( Medium Energy Ion Scattering )31)、電界放出顕微鏡(FIM: Field Ion Microscopy )を用いたアトムプローブ法29)による研究も興味深い。
(a) 透過電子顕微鏡法 (TEM: Transmission Electron Microscopy, HREM: High Resolution EM ) 5, 32)
100nm以下の厚さの試料を透過した電子線を用いる。二層膜の結晶学的方位関係やエピタキシーの完全性をチェックする場合は、膜面に垂直方向に電子を入射させるだけで良い。しかし、多層膜の界面構造や積層状態を観察するためには、試料を膜面に垂直に切った剥片を作る必要がある。イオンエッチングによる試料作製が一般的であるが、生物試料・有機材料などの場合に用いられている超ミクロトームによる試料作製も可能である。32)
透過電子には、試料により散乱・回折された電子以外に、物質との相互作用によりエネルギーを損失した電子も含まれる。電子線の波長が短いため逆格子面が直接観察できる回折パターンは、結晶構造の評価に有効である。明視野像または暗視野像よる回折コントラストは、結晶化グレインサイズ、格子欠陥などの評価に用いられる。また、透過電子と複数の回折電子を用いて結像させて得られる多波格子像を撮影すると、位相コントラストにより原子レベルでの結晶構造を反映した高分解能像(HREM像)が得られ、界面近傍の原子配列に関する情報も得られる。原子配列の正しい解析には、計算機によるシミュレーション像との比較検討が必要である。1980年代後半から、多数の研究が報告されているが、最近の研究報告には、Au/Ni人工格子33)、Pd/Ni人工格子34)などに関する研究がある。
最近の電界放射型電子銃を搭載した分析型透過電子顕微鏡を用いれば、サブナノサイズのマイクロビームを用いてナノメーターサイズの領域から回折像を得ることができる。マイクロビームを用いて電子線走査モードとし、電子ビーム同期させて蛍光X線像を得ることもできる。また、エネルギー損失電子を用いて結像する方法も最近開発され、選択元素の分布状態が高分解能で観察できる。35)
(b) 反射電子回折法 ( RHEED: Reflection High Energy Electron Diffraction) 36)
10〜30keV程度の電子線を試料にすれすれに入射すると、表面近傍で散乱された電子線による回折像を得ることができる。表面構造の評価手法として発展したが、薄膜の成膜中における構造をその場観察できる手法として、非常に重要である。また、鏡面反射電子線の強度から表面の凹凸状態が評価できる。層状成長する試料では一原子層の積層毎に強度が振動する。これをRHEED振動とよび、成膜中の膜厚制御に用いられることもある。透過電子回折と同様に、回折強度の評価には、多重散乱を考慮した強度計算が必要である。
4. 磁性多層膜のX線回折法による構造評価7-21)
薄膜材料の構造手法として、X線回折法は、 原子レベルにおける試料の平均構造を非破壊的かつ定量的に評価できるという利点を有する。ただし、 回折現象を通して構造を位相空間(逆格子空間)における情報として捕えるため、実空間において周期性をもつ成分を抽出した情報が主体となり、周期性のゆらぎとして観測される局所構造の評価には、詳細な検討が必要である。しかし、これまでの研究によって、遷移金属からなる一軸配向性の多層膜や単結晶エピタキシャル膜であれば、周期多層膜における人工周期、結晶組織とその配向性、結晶構造および格子歪みについては、定量的な評価が可能である。また、人工格子膜における積層周期構造のゆらぎの評価についても研究が進んでいる。界面近傍における局所構造の評価には他の構造評価手法の併用が必要であるが、局所構造の評価の前に試料全体の平均構造をX線回折法を用いて評価すべきである。
解析の手法としては、理想的な構造および構造のゆらぎを考慮したモデル構造について計算したプロファイルを実測値と比較し、試行錯誤的に構造を評価する方法が一般的である。実測値のプロファイルフィッティングを行う解析プログラム37,38)もあるが、かなり実測値と良く一致する初期値をシミュレーションにより見いだしておく必要がある。バルク結晶材料の構造解析のように、実測値のフーリエ変換により電子密度分布を解析することも可能であるが39)、 かなり良質な試料が必要とされる。3結晶回折計などによる逆格子マッピング34,40)、視斜入射回折法による面内構造の評価1, 17)もかなり行われるようになっている。以下、一般的な材料の研究開発の現場であれば利用が可能な粉末回折計を用いて測定できるX線回折パターンの解析について述べる。1)
4.1 一軸配向性単層膜のX線回折パターン
まず一軸配向性Au単層膜のX線回折パターンの特徴について述べる。nA 枚の原子面(面間隔dA )が膜面に配向した構造の薄膜を考える。散乱ベクトル2 を膜面に垂直(z軸方向)とし、粉末試料の場合と同様にq -2q scanプロファイルを測定すると、図1(a)の(111)配向Au薄膜のように、ブラッグの式 2d sinq = nl をみたす角度2q だけにピークが現れる。散乱X線の振幅は、原子散乱因子f 3 と原子位置rによる位相因子 exp(irQ) の積の和である。q -2q scanの配置では、同一面内の原子による位相差は0であるから、原子面の位置が z j = ( j +1/2 ) dA ( j = 0, ... ,nA-1) である時、面内の原子密度をh Aとして
(1)
となる。exp( i Q nA dA /2) は座標原点に依存する位相因子であり、散乱振幅の絶対値|F|には関与しない。散乱強度プロファイルは|F (Q )|2 にローレンツ偏光因子 Lp = ( 1 + cos2 2q mcos2 2q )/sin2q 、 吸収因子、温度因子を乗じて得られる。回折条件はラウエ関数
L(Q) = sin2 ( Q nA dA/2) / sin2 ( Q dA/2) (2)
の主ピークに対応するQdA/2=n ( 2dAsinq = nl )となる。実験的にも、結晶性が高く、膜厚の分布が小さい場合には、図1(b)のようにサブピークを示す。図1(b)の計算値はn=104の場合である。
面間隔dAだけで結晶系を判定できない場合には、薄膜アタッチメントを用い、試料に対するX線の入射角αを一定値1。程度とし、カウンター軸 2q だけをスキャンする方法がある20,21)。図1(c)のパターンにはfcc構造の消滅則(hkl: all odd or even) を満たす回折ピークがすべてみられる。結晶配向性を疑似的なロッキング曲線の測定により評価することも可能である。カウンタの角度2q を111回折ピーク位置に固定し、サンプルの角度θを変えて測定しそのピーク幅を測定した結果が、図1(d)である。ピーク半値幅は4.0°である。111面が優先配向しているが、配向性にある程度ゆらぎ(モザイク性)があることが解る。モザイク性は、q -2q scanプロファイル対し、1/sin2q の減衰因子として寄与する。図1(a)中の計算値にはこの因子を乗じてある。
4.2. 二層膜の回折パターン
NiMn(10nm)/FeNi(5nm)二層膜のX線回折パターンについて解析の例を述べる。NiMn (Ni42 at.%) とNiFe(80パーマロイ)はともにfcc構造を有し、格子定数は各々3.68Åおよび3.55Åである。実測の回折プロファイル(図2a)には、111 反射近傍にピークが現われているが、NiMnやNiFeのピーク位置とは一致しない。また、弱いサブピークもみられる。
理想的な構造の散乱振幅は、(1)式で表されるNiMn層とNiFe層による散乱振幅FA(Q) とFB(Q)の単純な和ではなく、NiMn層(膜厚DA=nAdA)の上にNiFe層(膜厚DB=nBdB)が積み重なったことによる位相因子exp(iQ DA)をFB(Q)に乗じ
F(Q) = FA(Q) + FB(Q) exp(iQ DA) (3)
となる。また、(1)式を用いて
(4)
となる。界面の面間隔はdI=(dA+dB)/2、LはDA+DBである。4 式(4)は、人工格子膜のステップモデルによる構造因子と同等である。式(4)を用いて計算したNiMn(nA=47)/FeNi(nB=24)二層膜の回折プロファイルが図2(b)-(d)であり、式(4)右辺の3つの項の寄与、第3項中のQに依存する3つの因子をそれぞれ示してある。第1項および第2項は、図1(b)と同様な単層膜の回折ピークに相当する。第3項は、A層内の原子により散乱されたX線とB層内の原子によって散乱されたX線による干渉の寄与である。なお、dAとdBの差が大きくなれば、プロファイルの計算値にみられる振動成分は小さくなる。
計算によって得られたプロファイルは、実測値とは大きく異なっているが、界面構造のゆらぎのためであると考えられる。5 原子面の数および界面の面間隔を変化させて、回折プロファイルを計算した結果が図2(e),(f)である。原子面の数の違いは、プロファイルの振動成分の振幅を変えるが周期にはほとんど変化がない。これに対し界面の面間隔を変化させると、振動成分の周期に変化がみられる。界面近傍の面間隔の微小な変化が、A層内の原子面とB層内の原子面からなる原子面対によって散乱されたX線の位相差をすべて変えてしまうからである。これに対し原子面数が変化しても、増減した原子面が関与しないA-B原子面対による散乱X線の位相差は変化しないとみなせる。相互拡散の効果は界面の面間隔の変化と同様な効果を引き起こすはずであるが、誤差関数による組成プロファイルとVegard則による格子面間隔の組成依存性を仮定すると、非拡散領域のA-B原子面対の位相差は理想的な構造とほぼ同じになってしまう。非対称な組成プロファイルやVegard則からの大きなズレがあれば位相差が現われるはずである。
理想構造に対する界面の面間隔の変化の効果は、界面近傍におけるミスフィット転位などの格子欠陥、界面の凹凸、相互拡散による界面近傍の面間隔の不均一性などによるA-B原子面対の位相変化を集積したものと見なすことができる。また、薄膜を構成するすべてのグレインで界面の面間隔が一定であるとは限らない。グレインごとに界面の面間隔が統計的にゆらいでいるとし、ガウス分布を仮定してシミュレーションを行った結果が図2(g)である。ガウス分布の分散値σを増やすと、A-B原子面対の位相変化が打ち消しあって、式(4)の干渉項による振動成分が徐々に失われ、単独のA層およびB層による散乱振幅の単純な和に近づいていくことが分かる。実測値は定性的に分散値0.5Å近傍に対応する。Cu(2nm)/FeMn(5nm)/NiFe(5nm)/Cu(2nm)/ NiFe(5nm)5層膜についても同様な結果が得られている。6
4.3 人工格子膜の回折パターン(1)ステップモデル
周期多層膜(人工格子)の回折パターンの典型的な例として、Au/Co(001)人工格子の回折パターン40)を図3に示した。Au層の膜厚DAuはすべて2.8nm であり、Co層の膜厚DCoが異なる。人工周期(Λ= DAu + DCo)に由来する回折反射が、すべての回折パターンの小角域に現れている。7 回折強度は回折角の増大とともにほぼ単調に減衰するが、特定のピーク強度が弱くなる場合がある。たとえばDCo =1.4nmの試料では3次および6次のピークが弱くなっている。DAu @ 2DCoであることによる。後述のように、理想的な人工格子の小角回折では、層厚比による「消滅則」が成り立つ。たとえばDAu = DCo である場合には偶数次の反射が消滅するというような、結晶の場合にはみられない消滅則である点が特徴である。実験的に消滅則が観測されることは、膜厚制御の正確さと界面の平滑性を意味する。DCo =0.5, 0.9nmの試料の回折パターンには、Auバッファ層によるAu002反射の近傍までシャープなピークがみられ、Au層とCo層が可干渉性を保って成長していると言える。 DCo=1.4nm以上の試料ではピーク幅がかなり広くなり、Co層の膜厚の増加による構造変化が示唆される。
人工格子膜の構造評価において用いられる構造モデルのうち、相互拡散や凹凸のない界面を有し、層の厚さにも乱れがない理想的な構造モデルをステップモデル41)いう。厚さDAのA層と厚さDBのB層をN回交互積層した人工格子(単位周期 L = DA + DB )によるX線の散乱振幅は、単独のA層、 B層による散乱振幅FA(Q)、 FB(Q)と積み重ねによる位相因子exp ( i Q k L ) を用いて、
(5)
と表される。kに関する和は人工格子のラウエ関数
L(Q) = sin2 ( Q N L /2 ) / sin2 ( QL /2) (6)
であり、回折条件 QL /2 = n ( 2L sinq = nl ) を与える。F(Q) = FA(Q) + FB(Q) exp(iQ DA) は構造因子であり、各層内の原子面数nA、nBと成長方向の面間隔dA、dBがそれぞれ一定値であるとすると、
|F(Q)|2 は式(4)に等しくなる。界面の面間隔は(dA+dB)/2とするが、補正値δを加えても式(4)が成り立つ (L = nAdA+nBdB+2d )。非晶質である場合には、 FA(Q) = F A[sin(QDA/2)/(Q/2)] などとする。F は原子密度とX線原子散乱因子の積であり、電子密度に相当する。
Au/Co人工格子について、|F (Q)|2にラウエ関数、ローレンツ偏光因子、吸収因子を乗じて計算した回折プロファイルの例が図4(a)である。図3中のDCo=0.9nmである試料に対応する。小角域のピーク強度は 電子密度F の差に依存し、m次反射の構造因子は、式(4)から近似的に|F(m)|2 = |FA-FB|2 sin2(pmDA/L )/(pm/L )2となる。したがって、膜厚比DA:DBが整数比p :1であるとき、p+1次の反射およびその高次反射が消滅する。8 図4(a)では、DAu:DCo@ 3:1であるため、4次のピークが弱くなっている。配向結晶層からなる人工格子では、式(4)の第1、第2項の寄与により、配向原子面の面間隔に対応するQ=2p/dA および2p/dB の近傍に強い回折ピークが現れるが、Au/Co人工格子ではdA とdBの差が大きいため、Au002反射近傍に最大ピークが現れる。ステップモデルにより、小角域およびAu002反射近傍の実測ピークの相対強度比はほぼ再現されているが、小角域のピーク位置や高次反射における強度の減衰とピーク幅の広がりは再現されていない。
図5(a)はNiMn/NiFe人工格子の回折パターンである。NiMn/NiFe人工格子のようにdA とdBの差が小さい場合、あるいはAu/Co(100)人工格子でもnA およびnBが小さい場合には、人工格子中の原子面の平均面間隔 <d> = L /(nA+nB) = dA dB(DA + DB) / (DA dB+DBdA) に対応するQ=2p/<d>の位置に主ピーク(基本反射)が現れ、その周囲に副ピーク(衛星反射)が現れる。9いわゆる変調構造の回折パターンとみなすことができるが、組成と面間隔の変調が共存するため衛星反射強度は一般に非対称である。実測の主ピークから求めた平均面間隔<d> の値が、定性的な議論に用いられる場合が多く、DA と DB の比を変えた試料について、<d>値とDA/L のほぼ直線的な関係からdAおよびdBの評価を行った研究42)や、<d>値の直線関係からのズレから構造の変化を検出した研究43)もある。図5(b)は、NiMn/NiFe人工格子について、平均面間隔<d>とDA/L の関係をプロットした図である。全領域で直線的な関係が見られる。
4.3 人工格子の回折パターン(2)構造のゆらぎの効果
現実の人工格子の構造には様々な構造の乱れが存在する。(1)相互拡散 (2) 界面の凹凸、(3) 膜厚の分布、(4) 格子歪み、ミスフィット転位、相互拡散などによる界面近傍での格子面間隔のゆらぎなどがある。ステップモデルにこれらの効果を取り入れ、回折強度計算が行われている。相互拡散については、適切な組成プロファイルを仮定し、(1) 式のFA (Q)、 FB (Q)を数値計算すればよい44)。界面の凹凸は小角域のピーク強度を低下させるが、基準界面からの平均二乗変位をΔ2とし、Debye-Waller 因子 exp(-Q2Δ2/2)を乗じる方法45)が一般的である。
図6(a)は、Au/Ni(111)人工格子について乱数を用いて原子面数がゆらいだ構造をシミュレートし、回折プロファイルを計算した結果である。平均原子面数をAu9原子層、Ni10原子層とし, 分散0.5原子層である。原子面数の分布は、衛星反射の間隔と基本反射の非整合性、高次衛星反射のピーク幅の広がりと強度の減衰を引き起こす。基本反射のピークの広がりは衛星反射ほど顕著ではないが、222基本反射は111基本反射より広くなる。このような原子面数の離散的な分布を統計的に取り扱う方法として、積層不整格子に適用されているHendrix-Teller 法や柿木-小村の行列法などがある。図4(b)は、周期が異なる構造単位の積層順に相関がない場合の柿木-小村の式46)を用いて計算したAu/ Co(001)人工格子の回折プロファイルである。
非晶質層の膜厚分布や、界面近傍の面間隔のゆらぎによる人工周期の分布は、連続的な分布関数で記述する必要がある47,48)。ガウス分布関数を仮定し、結晶性高分子などに適用されているパラ結晶モデルに基づいた解析が行われる。パラ結晶モデルおけるゆらぎの効果をみるために、Au単層膜に関してシミュレーションを行ってみた結果が図6(b)である。原子面の位置 z j = ( j +1/2 ) dA ( j = 0, ... , nA-1 )に、ガウス分布に従う統計的な変位パラメータd zjを加えた熱振動モデルと、原子面の間隔
zj+1 - zj にガウス分布に従う統計的なゆらぎd j+1,jを加えたパラ結晶モデルについて、回折プロファイルを計算した結果である。熱振動モデルでは、高次ピークの強度の減衰が主な効果であるのに対し、パラ結晶モデルでは、高次ピークの幅の広がりが顕著である。熱振動モデルでは、隣り合う原子面対から散乱されたX線と統計的な位相差と、結晶の端と端の原子面対により散乱された統計的な位相差は同じ分布幅を有する。これに対し、パラ結晶モデルでは原子面対の間隔が広がるにつれ、統計的な位相差は累積されて大きくなるため、結晶全体としての可干渉性が大きく低下する。
人工格子の場合には、個々の層の厚さあるいは界面における原子面間隔ゆらぎが累積され、図1の回折パターンに見られるように、Qの増加にともなうピーク幅の単調な増大と強度の減衰を引き起こす。Co層の膜厚が1nm以下のAu/Co人工格子では、準安定なbcc-Coがfcc-Auとエピタキシャル成長するが、Co層の膜厚が増加すると、Co層の構造が変化し界面での結晶学的コヒーレンスが徐々に失われるため、ピーク幅の広がりが顕著となる40)。荒い近似のもとでは、人工周期によるラウエ関数を、パラ結晶格子因子48)
で置き換えることによりゆらぎの効果を見ることができる。<L >は人工周期の平均値、σはガウス分布関数の分散である。Au/Co人工格子に関する計算の結果が図4(c)(d)であり、σが大きくなると、広角域の衛星反射は見られなくなり、単独のAu層のラウエ関数のリップルに相当するサブピークが現れる。図3におけるDCo=1.4nmの試料にみられる特徴が再現できている。
5. おわりに
現在までに作製されている金属多層膜および金属人工格子は、半導体多層膜や半導体超格子に比べれば、結晶としての完全性はかなり低い。しかし、完全性の低い構造でも、実用磁性材料として十分利用可能である。したがって、構造不完全性(構造の理想構造からのゆらぎ)の定量的な評価が必要とされている。また、X線回折法による構造評価に関して言えば、小角領域を除いて、多重散乱効果などを考量した動力学的回折強度の取り扱いを必要としない点が、半導体多層膜の評価とは異なる点である。定量的な構造評価法の一つとして、構造のゆらぎを考慮したX線回折プロファイルフィッティング法が用いられているが、バルク材料の粉末回折法におけるリートベルト解析のような地歩を占めるまでには至っていないのが現状である。磁性多層膜のX線回折パターンの特徴を定性的に把握し、適切な初期値を見いだせれば、定量的な評価は比較的容易である。
(注)
1 X線を用いて多層膜の構造評価を行うためは、X線の発生、X線原子散乱因子および異常散乱因子、Braggの回折条件、構造因子、ラウエ関数およびScherrerの式、結晶構造とミラーの面指数などの基礎知識が必須である。また、逆格子、Laueの回折条件、Ewald図に関する理解も望ましい。これらの基礎的な事項については、X線回折に関する多数のテキストがある。最近出版されたテキストを2、3本稿末に示した。また、X線分折に関するインターネットWWWサイトも本稿末にまとめた。カラフルな基礎的事項の説明図、Java言語などを用いた対話型の教材、原子散乱因子や異常散乱因子などのデータベース、人工多層膜のX線反射率のデモ計算、半導体超格子のX線回折プロファイルのデモ計算などにも容易にアクセスできるWWWページがある。
2 入射X線の波数ベクトルをk0、散乱X線の波数ベクトルをk1として、Q = k0-k1と定義する。運動量の次元を有し、k0とk1のなす角度を2q として、|Q|=4psinq /l 。
3 数値計算を行う場合には、異常散乱項を含む値f =f 0(Q)+Δf '+ iΔf " を用いる必要がある。特に、実験室系で頻繁に用いられるCu-Ka線の場合、吸収端がCu-Ka線の波長に近い3d遷移金属や貴金属の異常散乱因子はかなり大きい。例えば、
NiではΔf '= -2.96, Δf "= 0.51 であり、(|f|-|f 0(Q)|)/|f 0(Q)|の値は-6〜-10%である。4 界面の面間隔に補正因子aを加えた場合は、L=DA+DB+a となる。
5 この試料はNiMn層の規則化を目的として熱処理されており、界面構造のゆらぎは熱処理により導入されたと考えられる。
6 NiMn/FeNi多層膜などに関する研究は、日立金属(株)藤井重男氏、野口伸氏との共同研究の結果である。
7 ピーク位置から人工周期をBraggの式 2L sinq = nl を用いて評価する場合には屈折効果による補正が必要な場合がある。屈折率 n = 1-d - i b = 1 - (r Nrel 2/2p) (f 0 + Df ' + i Df " ) と表されるが、吸収を無視すれば、m 次のピークに対しsin2q =m2 (l /2L ) 2 + 2d となる。re は古典電子半径e2/mc2=2.818×10-13cm、r Nは原子密度 であり、δとして構成元素の原子濃度に関する荷重平均を計算する。δが小さい場合は、隣り合う二つのピークの位置から、式 1/L =2sinθn+1/l -2sinθn/l を用いて計算すると、屈折効果の影響はある程度無視できる。
8 構造因子の式(4)に戻れば、第1,2項のA層、B層のラウエ回折関数に相当する項がすべて0となるためである。界面におけるX線の鏡面反射だけを考える光学的モデルに基づけば、消滅則の物理的意味は次の様に考えられる。透過波は各層内を平面波として伝播するとする。たとえば、A層とB層の膜厚(D)が等しい場合について、屈折率を1とし各層内を伝播することによる各界面での位相因子exp(iQD)を考える。一次の反射Q=2p/Lに対応する入射角の場合には、各界面での位相差はπとなるが、裏表の関係にあるA/B および B/A界面の振幅反射率(フレネル係数)は絶対値が等しく符号が逆であるため、干渉による強め合いが起こる。これに対し、二次の反射については位相差2πでin-phase になるため、 A/B および B/A界面による反射波は打ち消しあうことになる。 DA:DB=p:1などの場合も同様である。
9 dA とdBの差が 中間的なAu/Co(111)人工格子などの場合には、主ピークの決定に注意が必要である 。主ピークが平均面間隔<d>に対応するかどうかの判定には、ステップモデルによる計算を行ってみる方法が確実である。面間隔<d>/2の高次反射が存在するかどうかという判定法もある。
参考文献・引用文献
図