以下は1999年10月22日(金)に開催した東ティモール・スピーキングツアーでのミカさんのお話のレジュメの邦訳です。 1.イントロダクション 私は東ティモール学生抵抗運動のメンバーの一人です。東ティモール学生抵抗運動は東ティモールの独立をめざして闘っている東ティモールの学生組織であり、CNRT(東ティモール国民運動)に属しています。 来日するのは今回が2回目です。最初の来日は今年5月でした。私は、京都で開催されたアジア・パシフィック学生フォーラム(APSF)に出席しました。その後、3週間に渡って日本各地で開催されたスピーキング・ツアーに他の東ティモールの女性とともに参加しました。 今回、9月23日に私の友人のニノ・ペレイラさんと共に来日したのは私たちの安全を求めるためです。 私たちは深刻な人権侵害が発生しているインドネシアと東ティモールから逃れることのできた最初のティモール人です。 依然としてインドネシア軍によって組織された民兵による暴力を東ティモール人は受けています。 2.1999年9月から10月にかけての東ティモール 1999年8月30日、自由への希望はインドネシア・ジャカルタ軍事政権によって完全にうち砕かれてしまいました。 1999年9月以降今日まで東ティモールで起こった事は東ティモールにインドネシア軍が侵攻して人道的な悲劇が起こった1975年の状況を思い起こさせました。 その時、東ティモールの約半数の人々が安全をもとめてオーストラリアやマカオ、ポルトガル等数ヶ所で難民となりました。ある者は西ティモール(ティモール島のインドネシア側)で人質となりました。 東ティモールに残留した者はジャングルに逃れざるをえませんでした。 占領の最初の年、人口の約1/3の人々が殺されました。この24年間で、30万人以上の人々が殺されました。 1999年8月30日、国民投票の結果、78,5%の投票者が独立に投票しました。 民兵とインドネシア軍は家屋を焼き払い、街や村を破壊しました。警察は破壊活動を防ごうとはしませんでした。防ぐどころか彼ら自身、攻撃に参加しました。なにも知らない人は虐殺されました。 犠牲者の中に、未成年者や妊婦、修道女、牧師も含まれていました。民兵とインドネシア軍は司教の家さえ攻撃し、そこに避難している人々を殺害しました。 そして国土の約75%が民兵やインドネシア軍の砲撃によって焦土と化しました。 1999年4月から9月までの6ヶ月間で、数千人の人々が殺害されました。人口の半数以上の人が国境線を超え故郷を棄てて西ティモール逃げ出さざるをえず、難民となりました。残った者は1975年の時と同じように東ティモールのジャングルに逃げこまざるをえませんでした。そこで何が起こったのかというと本当に悲惨な悲劇が一方的に起こされました。民兵とインドネシア軍がその悲劇を引き起こしました。 彼らは東ティモールの独立する基本的権利に完全に反対しています。 ティモール人の中では対立は全くありません。武力衝突もありません。 これは反独立派の民兵やインドネシア軍によるジェノサイドであり民族浄化です。 ジャカルタの偽善行為はこの恐怖に満ちた行為を引き起こしました。ハビビ大統領が彼自身国民投票を提案しているにも拘わらず、インドネシア政府は東ティモール人が平和に自身の国で生活するのを許したくありません。 8月30日の投票後、民兵はティモール人が彼らの居住地から離れるのを妨げるために陸、海、空のすべての道を封鎖しました。1週間の間、彼らは東ティモール人の大量避難を阻止しました。 1999年9月以降、市場や行政機関、学校などのすべての施設は閉鎖されました。 9月4日、国民投票の発表が行われました。 その数時間後、ディリ(東ティモールの首都)で深刻な暴力が始まりました。ディリは血の海と化した街になりました。その日のうちに数百の家屋が焼き払われ、 9月5日から15日まで、民兵やインドネシア軍や警察は市民をつぎつぎ(door
to 9月、ジャカルタ(インドネシア軍と政府)は1999年9月20日まで東ティモールに国連軍が到着するまで東ティモールにおいて非常事態を宣言しました。 9月7日東ティモールで緊急事態宣言が発効した時、暴力はさらにエスカレートしていました。電話回線は不通となりました。 国連軍が到着した後も、暴力は依然として横行していました。東ティモールの人々の悲劇は続いていました。9月以降、不安な状態で窮地の中で生活を続けていました。東ティモールでは今、法は存在していません。 interFETが東ティモールに入ったにもかかわらず、東ティモールの安全は依然として保障されませんでした。事態はまだ100%伝導的(conductive)ではありません。 3.東ティモール難民と彼らの状況について ダーウィン、マカオそれに多くのインドネシアの都市は東ティモール難民を受け入れています。 東ティモールに留まっている人々は、依然としてジャングルの中で生活しています。国連軍やInterFETの到着以後、ほんのわずかの人々がディリやその他の街に帰ってきています。彼らのほとんどは女性と子どもです。バリとジャバに8000人以上、ダーウィンに15、000人の難民が避難生活を送っています。 報告によれば、西ティモールとインドネシア島の他の地域の難民は本当に悪い状況に置かれています。 国連軍とInterFETが東ティモールに進駐したとき、緊張関係におかれた地域はインドネシア島に移っていました。 民兵は西ティモールに撤退していました。ジャカルタやバリでは、彼らはジャカルタの子分を言い換えればインドネシア軍と警察官を募集していました。 西ティモールでは、民兵はしきりに毎日難民キャンプを訪れて強制的に反独立活動家として人々に疑いをかけています。 そして東ティモールの男性や若い男性は強制的に民兵によって徴兵されています。彼らは国連軍と闘うよう脅迫されています。 民兵にいやだと意志表示したものは殺されます。すでに多くの人々が拒絶したために殺されています。 民兵は常に反独立派難民のキャンプを取り囲んでいます。彼らは国際人道救援スタッフや外国人ジャーナリストなど海外の人々を訪問先の難民と接触しないようにしています。 西ティモールの難民のある者は、西パプアやスラウェジ、カリマンタンなどのインドネシアの他の地域に移住者として強制的に再配置させられています。 バリやジャバにいる者は毎日民兵に脅迫されています。 ジャカルタにいる私の友達によると、バリやジャバには2000人を超える民兵がいるとのことです。民兵はインドネシアに居住している東ティモール人を恣意的な拘束や誘拐によって恐怖に陥れています。インドネシア政府は東ティモール人がインドネシアを離れることを許可していません。 彼らは大規模な避難計画を準備しています。計画はすでに9月初旬からから実施されています。 インドネシア政府はインドネシアから東ティモールを避難させる目的で行う国連やその他の海外の飛行機の離発着を承認してはいません。 すべての東ティモール人は、難民だけではなく、インドネシアに居住している人々は食料不足に直面しています。彼らは飢餓に直面しています。 ・誰が民兵なのか? 民兵もまた脅迫されています。もし彼らが民兵に参加しなかったなら、食料や毎日の生活に欠かせない必需品も手に入れることはできなかったでしょう。民兵は人々に暴力を振るう際、無意識となるように麻薬を与えられています。 ほとんどの東ティモール人民兵は国の周辺からやってきます。彼らの教育水準は全く低い状態にあります。ある者はまったく教育を施されていません。 民兵もまたインドネシア軍の軍人から構成されています。東ティモールの人々にたいする残虐な人権侵害に対してインドネシア軍の軍人が関与していることを示唆するたくさんの証拠と供述がありました。 |