死刑囚と修道女の心の交流を描いた米映画「デッドマン・ウォーキング」の原作者で米国人のシスター・ヘレン・プレジャンさん(58)が初来日し、23日夜、山口市大手町の県教育会館で、犯罪の加害者と被害者双方の立場を踏まえて、生と死について考える講演をした。アムネスティ山口などが招いた。映画の原作となった小説は、ふるさとのルイジアナ州で1981年、死刑囚を精神的に支える活動を始め、実際に死刑執行にも立ち会った経験を基に書き上げた。「被害者もその家族も、死刑では救われない」。講演に先立って記者会見したプレジャンさんは、そう訴えた。
−「デッドマン・ウォーキング」を書こうと思った動機は。
これまで4人の死刑執行に立ち会い、私が見てきたものをみなさんに知らせなければと感じました。学術的、統計的なお死刑制度の本は多いが、死刑囚と被害者の家族の両方の視点から死刑について考えなければならないと思いました。
−実際に死刑に立ち会ったそうですが。
死刑は拷問と同じです。死刑とは死を迎える瞬間だけのことではなく、それを予想することから始まっています。4人の死刑囚はみな、刑の執行を待つ間に疲れ切ってしまったと話していました。死刑囚が死を待つ時間は、とてもゆったりで耐え難く、一方ではとても早く過ぎ去るそうです。ルイジアナの刑務所では、刑が執行される日の午後6時、最後の食事があります。死刑囚と一緒に食事をしたこともありますが、私はのどがかわいて何も食べられませんでした。午後10時から、看守が執行の準備を始めます。執行後、「こういうことは自分もやりたくないが、仕事なので仕方なくやっている」という看守の話も聞きました。真夜中、執行の時がきます。私は電気いすのある部屋まで彼と一緒に歩きました。彼を支えるために、自分を強く保っていました。私は、後ろから彼の肩に手をおいて、聖書の一節を読みながら、彼と歩きました。看守は手際よく準備を済ませ、刑務所長が合図をし、スイッチが入ります。死刑執行は段取りがしっかりしていて、事務的に行われるのがショックでした。この経験から、私は死刑制度に対して戦おうと決心しました。現在、全米の38州で死刑制度があります。死刑制度がある州は、ない州の約2倍の殺人事件が起きています。
−死刑は犯罪の抑止に役立つという意見があります。
死刑が行われているアメリカではいっこうに犯罪は減りません。殺人事件を起こす人は、先のことまで考えているわけではありません。酒や麻薬、貧困など、大変な環境の中で事件を起こします。特に若い人は行動が先走りがちです。死刑制度は意図的に運用されている面もあります。アメリカでは毎年、約2万2千人が殺人を犯しますが、死刑になるのは1%以下です。アメリカの場合、人種問題も関係します。白人を殺すと罪が重いが、有色人種が被害者のときは捜査もされないことがあります。
−1994年の日本政府の調査では、日本人の約7割が死刑を容認しています。犯罪被害者やその家族にどうやって死刑反対を訴えますか。
アメリカでも、多くの人が死刑を支持しています。14年間、死刑廃止を訴え続け、被害者の家族と話し合う中で、死刑は必要ないと理解してくれる人も多いのです。凶悪犯罪には極刑を、というのは単純で表面的な反応です。 最近のアメリカの世論調査では、選択肢に「終身刑」や「懲役で得たお金を被害者の家族に賠償として払う」という項目を設けており、三分の二のアメリカ人が死刑に反対しています。被害者もその家族も、死刑では救われません。家族は、犯人が死刑になれば救われた気持ちになるのではないかと、執行を待ち続け、それが日常生活の中心になってしまいます。5年、10年と待ち続け、刑が執行されると、「彼が死ぬのは早すぎた」という人もいます。それは間違った解決法だと思います・死刑によって、一人の人間性が奪われ、死刑囚の家族にも新たな苦しみを与えるだけです。結局、死刑ではだれも救われません。
−被害者と犯人の家族の和解は可能でしょうか。
被害者の家族は取り残され、孤独になりがちです。人々は彼らにどう接していいかわからず、距離を置いてしまう。怒りと苦しみを吐露する場が必要です。最近は、被害者の遺族グループが語り合う会を作り、話し合いをつづけています。
−日本では、国が執行を公表せず、被害者にも伝えません。
刑の確定から執行までの期間もまちまちで、法務省がしい的に決めている気がします。人々が死刑について知る機会がなく、情報がないので簡単に死刑に賛成しているのではないでしょうか。もし死刑が犯罪の抑止力になるなら、実際にどうやって行われているか国民に知らせるべきでしょう。その上で、日本人が死刑についてどう考えるかが重要です。
