李総角氏講演参考資料
1.韓国の70〜80年代関連年表
1970.11.13 平和市場労働者 全泰壱(チョン・テイル)焼身自殺。
1971. 4. 6 第7代大統領選挙で朴正煕当選。
12. 6 朴大統領、国家非常事態宣言。
12.27 国家保衛法、国会にて通過。
1972.10.17 大統領特別宣言発表、国会解散、非常戒厳令宣布。
12.27 朴正煕第8代大統領就任。維新憲法公布。
1974. 4. 3 政府、民青学連事件発表。
1974〜75 大統領緊急措置1〜9号宣布。
1978. 2.21 東一紡織事件。
12.27 朴正煕第9代大統領就任。
1979. 8. 9 YH貿易事件。
10.18 釜山に非常戒厳令宣布。釜馬民衆抗争。
10.26 朴正煕、金載圭KCIA部長によって暗殺。
12.12 全斗煥による反軍クーデター ソウルの春
1980. 5.17 政府、非常戒厳令を全国に拡大。
5.18 光州民衆抗争発生(〜27日)。
9. 1 全斗煥、第11代大統領に就任。
1981. 3. 3 全斗煥、第12代大統領に就任。第5共和国出帆。
1985. 4.16 大宇自動車ストライキ。
6.24 九老同盟ストライキ発生。
1987. 6.29 盧泰愚、6・29民主化宣言発表。
7〜9 労働者大闘争。
1990. 1.22 全国労働組合協議会創立。
2.東一紡織労働者闘争
〈全国繊維労組東一紡織支部女性労働者達の民主労組死守闘争(1977〜78年)〉
(韓国史辞典編纂会編『韓国近現代史辞典』pp.450 〜451.)
東一紡織仁川工場は、全労働者1300人のうち1000人以上以上が女性という事業体であった。すでに1946年には労組が結成されていたが、労組は活動していなかった。しかし、72年に韓国労働運動史上初めての女性支部長朱吉子(チュ・ギルチャ)が選ばれてからは、都市産業宣教会などの支援を受けながら民主労組として着実に成長していった。
1977年7月23日に第二代支部長イ・ヨンスクが警察に連行された隙に、会社側に唆されたコ・ドゥヨンが会社の方針に従順な代議員24人だけを集めて電撃的に代議員大会を開き、自らを支部長に選出するという事態を引き起こした。これに対し、数百人の女性労働組合員達がすぐさま籠城に突入し、会社側の卑劣なやり方に抗議した。籠城三日目の7月25日に、籠城している組合員達を解散させようと戦闘警察が投入された。これに対し、70余人の組合員達は作業服を脱ぎ捨て、裸で抵抗した。しかし、警察は棍棒と拳を振るい、女性労働者達を無差別に連行し、40余人が気絶し14人が負傷するなど、現場はあっという間に阿鼻叫喚のるつぼと化した。
一方、「東一紡織紛糾収拾対策会議」の合意に従い、李総角(イ・チョンガク))を支部長に新しく構成された執行部は、78年2月21日を代議員選挙日として告示した。しかし選挙当日、会社側に買収されたパク・ソンギなどの男性労働者4人が突然投票場を襲い、付近にいた女性労働者達に手当たり次第に糞尿を浴びせ、さらに労組事務室を襲撃し組合員達に暴行を加えた。警察はこの蛮行を停めるどころか、むしろこれを助けた。また、全国繊維労組は、3月6日東一紡織労組を事故支部として処理し、李総角支部長及び副支部長2人、総務部長など4人を「都市産業宣教会と結託した反労組的行為者」という理由で除名した。そして。会社側は124人もの組合員を解雇した。解雇された労働者達は、祈祷会、デモ、籠城などを通して当局と会社の行為を糾弾する闘争を展開し、各界各層の民主勢力がこうした闘争を支援した。
東一紡織の労働者闘争は、「素裸」、「糞尿」に象徴される壮絶な抵抗と、それに対する激烈な弾圧で世界の耳目をそばだたせ、70年代労働運動の神話的な闘争となった。
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