犯罪被害者遺族の語る死刑廃止



日時:2001年6月8日
場所:山口県立大学
主催:アムネスティ山口グループ、アムネスティ山口県立大学グループ

だいたいのことはビデオ(ニュースステーションの録画)で流されましたが、概略を説明させていただきます。長谷川敏彦死刑囚、この方は主犯格とされています。もうひとり 井田正道さんという方、この方は98年12月に死刑執行されました。もうひとり森川健太郎君というといいまして、この人は有期刑、彼は懲役14年の刑期を終えられまして社会復帰されている、この3人による保険金殺人事件です。当時ありました1000万円の郵便局の保険金を交通事故に見せかけて詐取しようとした事件です。弟は8時か9時頃家を出て京都府木津町の木津川を横断する国道163号、トラックの運転手はみんなこの道を通るのですが、弟も通って出かけて行きました。その車にいだ君が同乗して木津町、あの付近を通りかかった時に何か落としたといって夜ですが探すんです。弟が運転していていだ君は免許証がないということで帰り道に困るということで、森川健太郎君とあのあたりで待ち合わせて、殺害をした。トラックを交通事故に見せかけて堤防から突き落とした、落としたんです。そして森川君が運転する車で深夜帰ったんですね。居眠りによる交通事故という判断が木津署の方ででた。自損事故という処理がなされたんです。それが1983年の1月24日、深夜未明ということになった。それからは私どもは交通事故だということで、半ば信じていた。私もそうだし、おふくろもそうだし、全部信じているんですよね。

翌年の1月24日に一周忌を迎えて、もうすぐお盆なんですよね、そのお盆になる直前5月2日、私どもゴールデンウイークも仕事なんで仕事にでているんですが、県警の方がうちにきていろいろ話をするんです。うちのかみさん、びっくりしちゃってるんですよね。なにを聞いてもいわなかった。とにかく僕を呼んでくれということで、その一点張りなんです。そこで家に帰っていきなり刑事の人から写真を3枚見せられるんですよ。それが長谷川敏彦 、森川健太郎です。最初に森川健太郎の写真を見せられて、僕は森川健太郎君に全然面識がなかったんで、知らないって返事をしたんです。最後に長谷川健太郎君の写真を見せられて、彼には覚えがあるんですよ、なぜかというと弟のお通夜席に、葬式のとき来てくれてね、会社の代表ということで従業員が死んだ、交通事故で死んだということで、彼にとって交通事故で死んだ、と思って来てくれた。もちろん彼があんなな事件を起こしたってことなど全然思いもしなかったんですけれど、その後葬式も済んでもくるんですよ、逮捕されるまでの間に。それはなぜ来るかというと、彼は郵便保険を現金で2000万円受け取っているんです。もちろん2000万円といっても3人犯人がありますからね、分け前があるんです。で、長谷川君が2000万円を受け取り、そのあと実行犯の森川君は幇助ということでどういう配分かはしらないですけれど現金を受け取った。それでも借金の返済がおぼつかなかった。彼はうちに来て交通事故の現場に連れていってあげましょうっていうんです。人間弱いんですよね、交通事故の現場にいって線香をあげたい、お花をあげたいっていう気持ちがある。いっしょにいっているんです。連れていってもらっているんです、彼に。逮捕されて初めて知ったんです。トラックの落ちた現場にいったんです。そういいうことが3回ぐらいあった。で、弟が会社から借りているお金がある、考えてみるとおかしな話なんですけれど、借用証書がないんです。借用証書を提示してくれといっても出さないんです。ないんですよね。そのほかにお金を貸してくれって。おふくろにいわせるとね、弟が世話になった会社なんだから、トラックと積み荷に損害をあたえてるそういうことがあるんで、借りているものがあれば返した方がいいんじゃないかっていうんで返したんです。金額にして数十万円だったんですけれどね。それでその後お金を貸してくれっていってきたんで180万円貸しているんですよね。ですから今考えるとおかしいですよね、だまされたって言う感じです。数字的にいうと250万円くらいですか、取られたっていう感じです。その間に彼の顔はなんどもなんども見るし。それから事件が交通事故から殺人事件に転じて2日目に逮捕されました。それから長谷川君を逮捕して裁判を初公判から一審、二審と彼をずっと見ているんですけれど、彼に対してすごく憎む気持ちの方が強くて最初にすごくありました。彼に望むことは極刑しかないんです。本当は感情論だと今思うと思うんですけれど。

それから彼から少しずつ手紙が来るようになりましたが、読む気はしませんでした。だけどふとしたことで彼の手紙を読むようになって、それに対して返事を書いたってことが彼との交流を深めるひとつのきっかけになったんじゃないかなって思うんです。時間をおかずにお墓参りとかそれから彼に対するいろいろな問題そういったものに対するそういったものが重なって彼との距離が一段と近づくようになっていったんです。そういう中で面会にいったんです。最初はすごく怖かったんですよね。面会なんていうのは、友達が中に入っているから行くと思ってたし、その友達はいないし、ましてやどういう形であるにせよ面会にいくなど夢にも思ってなかったし。一回目は失敗したんです。二回目に入ったんです。足がふるえました。

それから死刑の問題について少しずつ考えるようになりました。死刑というものも自分なりに考えて、自分なりに答えを出してみようかなという気持ちになりました。みなさんの力をお借りしていろんな角度から死刑の問題について考えて行きたい。その中で一番特に思ったことは、まず死刑というのは確定死刑囚というのは必ず死刑執行される。彼らは必死になって生きているんですよね。確定囚、あるいは未決の人も。彼らは償おうっていう気持ちがすごくあるんです。それを具体的にいうとなるとなかなか難しいですが。でも、執行されるということはどういうことかって考えると、彼らは罪を償おうっていう気持ちをたっちゃうんです。これはおかしいなっていう気がするんです。その辺のところはもう少し僕は考えた方がいいって思っているし、そしてもう一つは僕自身の問題として接見という問題があるんです。確定しちゃうと会えないんです、親族以外には。会えないっていうことはどういうことかっていうと、いわゆる彼らは償おうっていう気持ち、それは誰もが伝わらないっていうことです。償おうっていう気持ちを誰に伝えるかというと一番大事なのは被害者です。被害者に対して償おうっていうことが一番大事だと私は思うんです。それで死刑が執行になった時に償いっていうことができなくなる。執行は、罪を償ってほしいという被害者の権利、償おうっていう加害者の権利、それらを全部奪っちゃうんです。おかしいなっていう気がするんですけれどね。なぜ会って話をすることができないのか。話をするっていうコミニュケーションっていうのは、一つの「和解」っていうことばはあまり使いたくないですけれど、自分の思いに近い言葉があれば使うんですけれど、その第一歩だと思うし、そして交通事故など民事事件は被害者と加害者の向き合う場所があると思うんです。だけど刑事事件についてはまったくないんです。逮捕の瞬間からそういう機会はないんです。でも未決囚の間は会えるんです。だけど時間制限があり、面接できる時間は20分です。でも20分フルに使えるかっていうとそうじゃない。これはお互いに話の流れが切れたら終わりなんです。キャッチボールがないんです。おかしなはなしなんですけれどね。他の拘置所は知らないんですけれど。加害者の権利を奪い、そしてさらに被害者の権利を奪う、これが今の死刑制度です。なぜそうなってしまうのだろう。少なくとも接見行為は求めるべきだと思うし、そして我々被害者として被害者が望んでいる、そして加害者がこれを望んでいる、ということが双方の合意の上でこのことは成り立っている。どちらかが拒否した場合、これはしょうがないと思う。制度化すれば、または、拘置所長の裁量、その範囲の中にあれば、お互いそれを求めあっていれば、会わせてもよいような気がするし、加害者が拒否すれば、これはしょうがない。少なくとも、長谷川君がやっぱり求めている、僕も求めている。じゃ、会って長谷川君の心情を害するのかっていうとそうじゃない。僕はそう思いたくないんです。彼は喜んでいるんです。

公判でみる彼の顔っていうのは、ほんとうに死人以上ですね。彼の顔はすごいもんがある、圧倒されるものがある。これは長谷川君だけじゃなくて、未決のままでいる何人かの人たちがいるんですが、その人たちに会っているんですが、会いたいんですよね、誰でもいいから会いたい。何で会いたいかっていうと身内から疎遠になっちゃうんですよね。ですから彼らはものすごく孤独なんです。彼らに同情的に会うというのはよくないとは思うんですけれども、でも、会うっていう場、公に認められるっていうことは大きな意味があるんです。今の死刑廃止に対する考え方はよく死刑は残虐な刑罰、絞首刑は残虐な刑罰とよくいわれるんですね。そして法理論的にいって、なになにだから死刑を廃止するということをいうんです。それは加害者の側に立った死刑廃止なんです。加害者の人権がでてくるとと必ずでてくるんです。被害者の人権は一度だってでてこなかった。そういうことで死刑廃止はできるのかっていうと僕はそうじゃないと思うし。これは最後の公判の結審の主文の中でよくでてくる言葉、国民感情とか被害者感情とかよくでてくるんですよね。で、この間の欧州協議会フィンランドのグリナー・ジェンソンさんが日本に来て高村法務大臣(当時)と死刑制度のことで話し合った、その中で高村大臣の言葉の中ででてきたんですが、その中で国民の8割が死刑制度を是認している。8割っておかしいじゃないですか。我々8割の中でアンケートをとりに来たのか。8割なんてのはどういう統計でとったのかわからないです。あくまでも被害者感情、国民感情をもちだすっていうのは、死刑制度そのものを国民に納得させるためのひとつの材料道具ににすぎない。逆にそう思いたくないけど思ってしまうのが現状なんです。

なにが一番大切かっていうと、精神的なケア、経済的なケア、被害者の救援対策だと思います。それから接見問題、面会する権利被害者の権利、加害者の権利、相互の権利を認めながら、接見する場というのを築く必要があると思います。このふたつは死刑廃止につながっていく運動だと僕の中では思っています。最近被害者の救援対策とかいろんなところで勉強会があります。いろんな組織が立ち上がって来ているんですね。行政の一つとして少しずつ広がりつつあるんですけれど、国がこれだけのことをやってあげているんだっていうものが見え見えでしょうがないんです。もっと被害者の目線にあった被害者の救援組織が必要だと思うし、この二つが一番大きな自分自身では思っています。もっともっとこういう問題をたくさんの方々にいまの実状を知っていただきたいと思います。その上でいや死刑は絶対あるべきだという人がいてもそれはいいなと思うし、何か考えてもらったらそれで十分だと思っています。必ずしも死刑廃止が絶対いいとも思わないし逆も待たない。もっと議論をしていただいてこの輪というものを大きくしたいなと自分では思っています。来週から欧州評議会にいくんですけれどもっともっとこういう問題について考えてもらいたいと思います。とにかく今確定している人たち、あるいは確定する人たちは死んじゃったらなにもできない、それだけは事実だから。死んじゃったらなにもできないです。事件はなにも終わらないんです。被害にあった人たち、もちろん加害者の家族の人たちも被害者です。その人たちにとってひとつの事件は忘れることはできないし、そのひとつの事件がすごくおおきな反響をよんでいるというといこは紛れもない事実だし、そういうものにとって殺すなんて安直なことでこの事件を解決しようとするなんて大間違いだと思います。